海揺録

自律とか、自由とかが、たぶんテーマです。以前は、精節録というブログ名でした。

観念の子、思念。

観念は、その子供として、思念を生み出す。

 

思念は、観念体の周辺を彷徨う。

 

振動数が磁力のように機能していることで、

それによって思念は親を認識し、周辺に留まる。

 

ある観念体が、抱えきれなくなった思念は、

外に飛び出そうとする。

 

これは、投影という心理的作用の、別角度からの視点だ。

 

つまり、飛び出した思念は、

他の観念体に親と似たような振動数のものがあれば、

そこに留まろうとする。

 

しかし、自身の感覚を信じて、

振動数をユニークに保っている観念体の場合、

これを先の思念は親とは違うものと認識する。

この場合、磁力は反発的な作用として、

思念を親の元に返す役割を果たす。

 

釈迦が、

自分が贈り物を受け取らないとき、

それは相手の送り主のもとに戻ると言ったそれは、

おそらくこのことを指しているように思う。

 

 

自らの観念によって、

外部に発散していく思念が変化し、

 

真我という関数に観念群が入力されることで

出力されている振動数が、

外部から受け取る思念を決める。

 

真我という関数は、

つまりある意味で誤差関数のような役割を果たしている。

 

例えば、

自分の中に違和感を感じる観念を抱えているとき、

振動数はその違和感を華麗に奏でている。

 

そして、その違和感を拡大するかのように、

外部から思念を磁力的に呼び寄せるようになっているのだ。