観念は、その子供として、思念を生み出す。
思念は、観念体の周辺を彷徨う。
振動数が磁力のように機能していることで、
それによって思念は親を認識し、周辺に留まる。
ある観念体が、抱えきれなくなった思念は、
外に飛び出そうとする。
これは、投影という心理的作用の、別角度からの視点だ。
つまり、飛び出した思念は、
他の観念体に親と似たような振動数のものがあれば、
そこに留まろうとする。
しかし、自身の感覚を信じて、
振動数をユニークに保っている観念体の場合、
これを先の思念は親とは違うものと認識する。
この場合、磁力は反発的な作用として、
思念を親の元に返す役割を果たす。
釈迦が、
自分が贈り物を受け取らないとき、
それは相手の送り主のもとに戻ると言ったそれは、
おそらくこのことを指しているように思う。
自らの観念によって、
外部に発散していく思念が変化し、
真我という関数に観念群が入力されることで
出力されている振動数が、
外部から受け取る思念を決める。
真我という関数は、
つまりある意味で誤差関数のような役割を果たしている。
例えば、
自分の中に違和感を感じる観念を抱えているとき、
振動数はその違和感を華麗に奏でている。
そして、その違和感を拡大するかのように、
外部から思念を磁力的に呼び寄せるようになっているのだ。