海揺録

自律とか、自由とかが、たぶんテーマです。以前は、精節録というブログ名でした。

言語の再道具化

自らの能力とは無関係に、一時期の運に恵まれていた人々は、認知的不協和が生じやすい。

 

認知的不協和は、そのまま心理的に不安定な状態と直結する。

 

その不安定さと、肥大化した実体なき自尊心に対する防衛規制が、彼らの言動に歪な雰囲気を加えている。

 

他人への非難、自己正当化、過去の成功を過大評価するといった姿勢の傾向性は、こうした根っこと繋がっていることが多い。

 

稀に、認知を鈍くしていくことで、心理的に安定状態となる人もいる。結果として、安定状態は先の傾向性を逓減していき、ポジティブな人格形成に寄与する場合もあるらしい。

 

すると問題の本質は、能力の有無でも、運の寡多でもなさそうだ。赤子が認知的不協和など起こし得ないことを鑑みるに、現実への期待や解釈、もっと言えば、彼らの人生に対する観念、さらに深い部分では、言語的な自縄自縛が、本質なのだろう。

 

言語の使用や運用方法を最適化するよりも、いかに言語を用いずにいられるか、つまり言語という概念を、あらためて道具化する方向性に、より重要性を感じる。