あらゆる行動が、
進化の最新の到着点であるとするならば、
どんなに「愚からしい」行動にも、
その進化の偶然性と必然性がある。
我々が「否定してはならない」とする行為も、
その肯定を思考するメタ認知でさえも、
並列化された進化の
最適化プロセスの一部なのだ。
「安寧」のために選択される回避。
「学習」のために選択される冒険。
我々の認知や感情が、
辻褄合わせの錯覚だとしても、
それは最新の演算から導出された
「解」の一部なのだ。確率的な収束。
季節が過ぎて散りゆく花の侘び寂び。
我々の遺伝子が、
ある段階で自己破壊的に
進路の舵を切るとしても、
なるほど何も不思議ではない。
より大いなる風向きが、
この航路を導くのだ。ときおり凪。