もっともらしい因果が、
「意識」によって設えられる。
因果は選択的な問題であり、
正味、なんでも大丈夫なのだ。
つまり、あらゆる感情や行動は、
無意識の焦点的な目的に従って、
表出されるものであり、
そこに後付けでそれらしい理由を拵えることで、
「自我」の存在が生じてきていると考えられる。
すると、自我はあってもなくても問題ないが、
なぜ感覚されているのだろうか。進化論的な疑問。
それは、ブロックチェーンのように、
ハッシュ化しているだけなのかもしれない。
無意識の世界では、
万物は同じメモリの上で、
演算を行なっているが、
それぞれのジョブは、
このエピソードハッシュによって、
スレッド化されているのだろう。
個々のジョブの喜怒哀楽に意味があるとすれば、
演算の効率化のためな気がする。
であれば、直観的な選択が、
最も英知的なのだと仮定しても、おそらく正しい。
我々の「論理的な思考」など、
電卓のGUIアプリケーションを使用するくらい
間抜けなのかもしれない。