我々は、類型化によって対象を認識することがある。 類型化とは、単純な分類と、 そして、次のフェーズとして、比較が試みられることが多い。 さらには、数値や指標的な比較にとどまらず、 そこに価値観が加わると、優劣判定が生じる。 「ある価値観における…
何かがあったとき、 どんな風に解釈を試みるだろうか、少し考えてみたい。 美化された特攻隊員の死に壮絶さを感じる一方で、 いじめられて自殺した学生の死に絶望を感じる。 同じ「死」というショックな出来事に対して、 その前提や状況によって受ける印象は…
共に日常を過ごす人々がいるような状況というのはしばしばある。 一方、そうではない状況というのも、 その人の自立傾向や気質によって発生する。 自分以外の誰かに何かを要求することなく、 十全に人生を謳歌することは可能だ。 そして、このような自律的な…
権力、財力、魅力。 総じて、それに従おうとする他者を従わせることができる。 自ら従おうとしなければ、 それらから自由であることもできる。 できる、といったが、おそらくその状態がほとんどの場合好ましい。 生まれた環境によってはそれが難しい場合もあ…
ストイックな人々の一派には、 「満足するな」とか 「飢餓感をもて」とか どうも「不足」を強く感じ込むことで、 自らの行動を推進しようとする趣がある。 近頃の偉人の言葉にも、 そんな傾向が見えることがあって、 少し考えさせられた。 僕たちは何のため…
今日の夕飯の献立を考える。 今日、食べたいものを考える。 メインが決まったら、 サイドメニューには何が合うか考えたりする。 あるいは、誰かと一緒なら、 その人の好きなものだったりを、 飽きがこないような形で調整したりする。 献立ができたら、材料や…
得体のしれない不安が顔を出すことがある。 それを細分化して根っこまで辿っていくと、 まったく合理的ではない思い込みが種になっていることが多い。 思い込みについて記憶を辿ってみると、 善意、悪意を問わず、人からの影響を受けていることに気が付く。 …
縦のつながりが跋扈する社会では、 人々は何かと上下関係を定義したがる。 それは、 目に見えるかたちの爵位であったり、 精神的な優劣感情であったりする。 面白いことに、 精神的な劣等感を抱いた場合、 それをうまく自分で受け入れられない人の中では、そ…
なんらかの依存症について想定してみたい。 誰しもひとつくらいの経験があるに違いない。 「もう辞めよう」という決意が、 節制の始まりにあることは確かだけれど、 それ自体の強弱にほとんど意味がないことは経験的に明白だろう。 どれほどに強い決意であっ…
大きな悲劇が訪れた時、 基本的に、その悲劇の原因について、 考察を繰り返すことになるだろう。 しかし、繰り返される考察は大抵堂々巡りであることが多い。 であれば、一旦「原因」的な思考をやめてみよう。 その悲劇の目的を推理することが面白いはずだ。…
何か「行動」を選択したとしよう。 「行動」の結果がランダムである場合、 それが善い方向に進む「行動」であったのか、 悪い方向に進む「行動」であったのかは、 「行動」が終わった後でしか、その判定はできない。 また「行動」の終了をある地点で測定して…
好意について考えるとき、 好意を保持している主体と、対象となるものの、 このふたつの領域がある。 好意の中には玉石混合の感情たちが渦巻いているが、 単純化のためにこの細分化の区別はやめて一括りにしてしまおう。 さて、好意を保持している主体が取り…
自分の性欲が自分の制御の中にあることが確かに自認できるとき、 好きな相手に対する恋愛感情は、その存在が明確になる。 言い換えると、 性欲が自己制御できるようになっていると、 好きな相手を目の前にしたとき、性欲で女性を欲しているのか、 そうでない…
僕はあまり人との会話の中でストレスを発散するということをしたことがなく、 ピークまでそれが溜まってしまうと、まず体調が悪化し、 ひどい嗚咽と嘔吐に襲われ、 それよってストレスの発散が行われていた気がする。 難儀な性格で身体にはいつも申し訳なく…
僕たちは、 報酬系にひたすら無意識の「承認欲求」を埋め込む「訓練」に加えて、 集団心理によって「休息」に「罪悪感」を関連付ける「訓練」も行なっている。 個別的な「休息」が本当に「悪いもの」だと仮定してみよう。 そもそも、このように書き出すだけ…
産まれてから、 言葉を喋れるようになり、 それを見て周りが喜ぶ。 歩けるようになり、また周りが喜ぶ。 何らかの施設で午前中を過ごすようになると、 毎日のように「今日やること」が決められていて、 それをうまくやると、また周りが喜ぶ。 しばらくすると…
「好きなことをしたい」 「好きなことをしよう」 ここまではいい。 ここまではいいのだ。 これが価値観となり、 視野の狭い状況になることはまずい。 自らの趣向以外を拒絶し始めた時、 苦しみが同時にやってくる。 魚は、水の中でしか生きられない。 そこま…
刺激というものは、外部的なものと内部的なものに分けることができる。 内部的な刺激というものは、何をするでもなく、内側から湧き出ててくる、内発的欲求と結びついていて、これは自らの天性と行動が一致した時や、自らの思想と世界の摂理が一致した時など…
僕は多分馬鹿なのだと思う。 ただ、それは、もう仕方ないことだとも思う。 そもそも人を騙すつもりもなければ、 人を騙しているつもりもなく、 自分が騙されていることにも気が付けない。 愚かとは、誰からの視点であろうか。 自分で自分のことを愚かだと思…
道徳的な正しさを測定することは常に困難で、 最低の定義は、 その人の立場で変わる。 しかし、君は君自身を後悔しない生き方をしたいと望むだろう。 それが自分の正しさであり、 その誇りを守ることを忘れない人に、 それを信じて生きている人に、 僕は賞賛…
十分過ぎるということがある。 そんな時に忘れてしまいがちなことは、 それが十分過ぎるということ、それ自体だ。 悪いことは、たった少しであっても 過敏に記憶に刻まれることがあるにも関わらず、 自らにとって良いことは、 十分過ぎるほどのことであった…
自分で自分のことを「優しい」人間だと思っている時ほど、 人に舐められている可能性に気がついた方がいい。 自分の中に鬱憤を堆積させながら、 誰かに何かをしてあげるということは、 優しさではなく、迎合という言葉が適切だろう。 不満があるならば、 そ…
理想と現実を混同させると、生き方を間違える。 少なくとも、僕は、現実について、ひどい勘違いをしていた。 僕は、自分の体内にいる微生物たちが、 今この瞬間に死んでいくことに何の感情も持たない。 その事実を知っていたとしても、 自分の存在によって、…
心理的な安定がなければ、どんなに優れた環境も地獄に変わる。心理的な安定さえあれば、どんなに過酷な環境でもさして問題にならない。 だから、環境を改善しようとする前に、自分の心理的な安定感や安心感を養うほうがよい。 傷ついたままの心を放置せず、 …
他者の敵意が自分に向けられていると感じる時、 あるいは、実際に敵意を示されている時、 大抵の場合、その敵意は、本来向けられるべき方向を向いていない。 憎しみや怒りは、社会生活の中で、表現されにくい感情に違いない。 多くのそのような感情は、 感情…
自らの信念などが、社会や周囲の風潮と一致しないような時、自らの正しさを確信していたにせよ、妥協や遠慮を考えることがあるかもしれない。 そうした多くの場合、勇気という言葉によって、解決を見出すことができるだろう。 さて、君の人生はまず君のもの…
僕は、前に進むことも多いけれど、悩むことも多い。 そんな中で、確かな経験から確信していることがいくつかある。 でもきっと、これは理論の話ではないのだろう。 おそらく信念の話だ。 まず自分のために生きているか、それが一番最初に問いたいことだ。 自…
何かと粗を探してくるようなタイプの人というのは、いろんなタイミングで出会う。 一緒に何かをしていくには、こちらの熱量を減退させていくこともあるから、何となく距離を置きたくなるけれど、その人たちの力を借りると非常にベストマッチな事柄というのが…
牢屋で生まれた男は言った。「この世界は甘くない。現実は厳しい」と。新しく入ってきた囚人の一人はこの言葉を聞いて驚いた。この監獄にはいくらでも抜け道があり、ここから出ようと思えば、少し穴を掘るだけでよかったからだ。どうやら監視人は多忙で、誰…
さて、性欲と向き合うためにはどんな方法があるだろうか。 ひとつに、性的な欲望のレベルを下げていくということがある。例えば、僕の場合、食事に対する欲望のレベルというものは、生活が他のことで満たされていくことでどんどん下がっていった。睡眠に対す…