海揺録

自律とか、自由とかが、たぶんテーマです。以前は、精節録というブログ名でした。

嫉妬の返却。

縦のつながりが跋扈する社会では、

人々は何かと上下関係を定義したがる。


それは、

目に見えるかたちの爵位であったり、

精神的な優劣感情であったりする。


面白いことに、

精神的な劣等感を抱いた場合、

それをうまく自分で受け入れられない人の中では、その感情が嫉妬に変化していく。


嫉妬は相手を落とそうとするエネルギーを発して、時に攻撃性として現れる。


相手に嫉妬や攻撃が効かない場合、

解決できない劣等感は、さらに肥大を繰り返して、大きな嫉妬を育んでいく。


例えば、そうした人々が相手を落とすための攻撃に時間を浪費しているうちに、実際に優れている特性を持った相手が、さらに能力を向上させていくとしよう。嫉妬の肥大化は止むことなく、実際の優劣感は日に日に事実的にも大きくなっていく。


さて、今まで攻撃を加えていた相手から、まったく無視されるか、相手にされなくなった場合、肥大した嫉妬感情は、行き場を失う。


その醜さで形作られた刃は、自らの懐にしまう必要が出てくる。さもなくば、周囲の無関係な人々を傷つけることにしか使い道はない。


すると、懐に何本も何本も重苦しく醜いものをぶら下げて、日々を過ごすことになる。


剥き出しの刃は、時に自分を傷つけることもあるだろう。


なるほど。嫉妬を向けられ、攻撃された場合、こちらは泰然として、その相手をしないようにするだけでいい。


感情とその棘は、それが刺さる相手が見つからないとき、全て本人に還っていくのだ。


「私は、君のその刺々しい感情を受け取らない。だからこれらは全て君のものだ。どうぞお幸せに!」