海揺録

自律とか、自由とかが、たぶんテーマです。以前は、精節録というブログ名でした。

牢屋のベットの上で。

牢屋で生まれた男は言った。「この世界は甘くない。現実は厳しい」と。新しく入ってきた囚人の一人はこの言葉を聞いて驚いた。この監獄にはいくらでも抜け道があり、ここから出ようと思えば、少し穴を掘るだけでよかったからだ。どうやら監視人は多忙で、誰…

夢はポケットの中に

さて、性欲と向き合うためにはどんな方法があるだろうか。 ひとつに、性的な欲望のレベルを下げていくということがある。例えば、僕の場合、食事に対する欲望のレベルというものは、生活が他のことで満たされていくことでどんどん下がっていった。睡眠に対す…

自由なればこそ孤独。

虚構的な人生を振り切って、自由への道を一歩一歩と進んでいく覚悟を決めたとする。その道のりは大抵長く、そして何よりも孤独だ。 そこにある孤独というのは、精神的な孤独であり、誰にも理解されない旅が永遠と続くことを意味している。 もしも自由を幻想…

愚凡でもいいから。愚凡であるからこそ。

同じ歳月を過ごしているのに、同世代の人々の中でこうも能力や知性に差が生まれるのは非常に面白く、そしていつも現実の残酷さを表している。 どんなに人々が皆同じように生活を過ごしていようとも、諸々の条件における分布は広がる。異常値があり、平均があ…

広大な情報の海と、それぞれの質の話。

情報の質は、その情報の発信者たちの気質も含めた情報の性格といった部分に大きな影響をうけやすい。 料理の話について、政治の話を語るような仕方で記述されていることはほとんど見たことがない。動植物の情報が、難民の情報と同じような雰囲気で綴られるこ…

欺瞞的な多様性

基本的に優れていると感じるものに対しては、それが「多様なものだ」という言い方をせずに、自らもそれに近づこうとして、自分の目指す先にそれらを置くということをする。一方、優れていないと感じるものに対しては、それも一つのあり方なのかもしれないと…

寝ている恩恵

惰眠への罪悪感をいつのまにか持っていることに気がつくが、それが自らの可能性のいくつかを奪っているのではないかということを考えるようになった。 なんらかの作業中に、解決策の浮かばない課題を見つけて頭を悩ませることがあったとして、その解決は、寝…

「大変だよ」のまやかしと、覚悟のふるい落とし

僕の好みの問題として、リスクのあることが好きだから、そういう事柄に挑戦することがある。すると、周囲や関係者の方から、必ず言われる言葉がある。 「大変だよ。」「甘いよ。」 僕は割と、そう言われるたびに、今回こそはやっぱり大変なのだろうかとか、…

価値感覚

今、目の前の物事や事物に対して、自分がどのくらいの価値を感じているのかという判断は、感覚のままにそれを知ることができる。つまり、現在とか今という時点における価値感覚は、確かにそれを知ることができる。しかし、裏を返せば、現在から先の価値感覚…

刺激と集中のトレードオフ

オナニーは気持ちがいい。まずその仮定をおく。 そして、ポルノは刺激が多い。それを自覚する。 興奮するということは自分が刺激に反応するということだ。 刺激に反応することにきちんと終わりがあるとすれば、それは人間に備わった非常にありがたい機能だと…

オナ禁の同志たちにぜひ観て欲しい動画。あまり意味はないけれど。

女の子が面白い、すごく共感できる。笑 (字幕は、再生してから動画の右下の吹き出し部分から選択可能)

心配するなら金をくれ

いつからか遠い先のこと見なくなっていった。 現状の改善にその日のすべてを費やしているうちに、日々それ自体が達成であり、その達成こそが、今日の全てであるとして認識するようになった。 だから未来には基本的に希望の方が多い。以前、心に住み着いてい…

自分を自分で育てる

誰かから向けられた言葉に、もしも苛立ちを覚えることがあったならば、その時は自分で自分自身を評価することを怠ってはいないかどうか、日々を振り返ってみたい。 誰かからの評価について、全く自己への関与を許さないほどの自己評価を確立していこうという…

植物への憧憬。

生物全体において、植物の賢さは比類がないもののように思う。 自らの栄養を全て循環の中で吸収し、そして全体へ貢献する。 人間がどれほど人工知能や機械化、自動化によって、その機能を拡張していったとしても、自然の大きさからすれば、なんとも小さな働…

「可能」と「簡単」が増える。

やりたいことを突き進んでいると、やりたいけれども技術的にできないことに突き当たることがある。しかし、毎日の積み重ねの中で、勝手に必要な技術が習得できていたりすることがあって、そうすると、しばらく放置しておいた事柄が、後々するすると解決して…

批判のマナー。非難の不要さ。心の強さ。

自分自身にとって何かを「正しいとする感覚」は、自己の内部においては重要なインパクトを持っている。 しかし、その感覚が他者の内部においても、絶対に正しいなどと考えることは不毛な事態しか生まない。 他者が間違っているかもしれないという可能性と同…

確率信仰

僕は確率を信仰している。 確率に従ったゲームが好きだし、そうしたゲームでは、個別的な勝ち負けは問題ではなく、全体として確率が示す方向に勝率が決定されていく。すると結果的には、勝つことがすでに想定されている前提でゲームが進む。そんな状況では、…

何をしても批判がやってくる。何をしなくとも批判がやってくる。

ほとんど笑えてくるような話である。 何をしても必ず批判が待ち構えている。 特に表現活動を行うならば、どこからともなく批判がやってくる。 で、それにうんざりした結果、例えば、何もしないことを選択したとしよう。 恐ろしいことに、何もしないことに対…

「まじめ」を諦める。

最近、自分の取り組みにおける試行錯誤に没頭するあまり、その他のことがどんどん疎かになっている。 ただ、それはもう諦めることにした。 やりたいことをやるのならば、それ以外のことは二の次にならざるを得ない。 結果として、自分の成したいと思い描いて…

遊ぶように生きる。趣味が世界をつくる。

色々あるけれど、とにかく、遊ぶように生きられたらいいと思っている。 だって、本気で遊んでいるときの集中力に勝るような力は、ほとんどない。寝食を忘れるほど生きることを楽しめているような時間は、大抵そうした集中の中にある。自分の可能性を最大化し…

三種類の反応

自分は、計画や目的、あるいは目標、夢を持っている。 何かの拍子に、誰かとそれについて話すこともある。 たとえば、聞かれたり、話の流れであったり。 そんなとき、聞いてくれた後の反応が三種類あることに気がついた。 きっと、種類自体は、もっと沢山あ…

思っていること。

やりたいことのために生きて、 やりたいことのために死にたい。 それを遂げるためならば、 どんな苦しみでも耐え忍ぼうと思える。 もしも、やりたいと思わないことのために生きるなら、 僅かな苦しみでさえ、どうしてあえて耐え忍ぼうとする力が湧いてくるだ…

それでもオナ禁をする理由

前回の記事「オナニー肯定論」の続きを書こうと思ったけれど、そんなことよりも、それでもオナ禁を続ける理由について書く方が、大切なように思って、そうすることにした。 僕は、オナ禁に対して、してもしなくてもどちらだってよいのであろうという考えを持…

オナニー肯定論

適切でないオナニーにおいては、確かに害悪が多いということは周知の事実であるように思う。 さらに言うと、僕が述べようと思っている考え方は、おそらく多くの点で間違っているものと思う。 しかし、ある一点においては、多様な生き方や善が共存する現代で…

理解者とは探すものではなくて、自らがなるもの。

「自分のことを理解できる人などいるのだろうか」という問いは、なんとも惨めな問いであろうか。逆に、「自分は誰かを少しでも理解することができているだろうか」という問いは、どれほどの心の優しさを必要とするだろうか。 自らの理解者を欲するのであれば…

自律力

生きる意味や価値は、自らで創ることができるのだと気がつけば、その次は、生きる力を手に入れることに意味を見出せるようになるのかもしれない。生きる力と一言にいっても、人間関係、お金、権力、資格、能力、才能、知性、優しさ、愛情と様々にある。価値…

自我を切り離す

取り組んでいることに対して、それに愛着を持つほどに、それらがまるで自分の一部かのように錯覚し始めることがある。愛着自体は、非常にいい響きであるし、それがあるからこそ何かを好きになったりできるものだと思う。しかし、自分と同一視してしまう錯覚…

脳の貪欲さ

たとえば、何かしらの問題の解決策を練る。問題が複雑であればあるほど、細分化して、段階を追って、解決の手順を整理していくのが大変になる。あるときは何時間もかかる。当然一日では終わらない。けれど、頭を休めることなくひたすら考え続ける。すると、…

不思議な愛おしさ。

ぼーっとしてみると分かりやすいが、焦りや苛立ちの感情が生じているときの心というものは、何かにとらわれていることに気がつく。 それは、実際、他人から見ればありがちなことであり、かつ、自分が感じているよりも本来はたいしたことのない悩みばかりであ…

ちっぽけな生き物。

自分にとっての自分の存在は、いつだって実物以上に大きく感じてしまう。しかし、ふとした瞬間に、その小ささを実感しては、「ああ、こんなにもちっぽけな生き物。」と、いろんな認識が変わる。 悩んでいるようなことも、それと一緒にちっぽけなものなのだと…