目標という文言が現実味をある程度必要するのに対して、
夢は、そうした制約を持たないものとして定義して扱いたい。
ならば、目標のサイズの上限は、この現実味という主観なのか客観なのか曖昧なボーダーラインによって規定されると考えてよさそうだ。
では、夢のサイズは?
少し考えてみると、夢の一側面を切り出してみることで、
その上界が規定できそうに思う。
夢の一側面として、そのストレス性を考えることができる。
ストレスには突発的なものと継続的なものがあるように思うが、
夢はこの継続的なものに分類できそうだ。
一説によると、ある人物が特定のストレスにさらされた時に、
それに快や不快を感じる程度は、ほとんど生来的らしい。
そこで、生まれながらにその人にとっての適正なストレスの範囲はある程度決まっているという仮説のもとで続きを考えてみたい。
結論はシンプルで、夢というものに、日常的に継続してかかるストレスという一側面があるとするならば、その適切なサイズというのは、その人にとっての適切なストレス量に依存すると考えるのがいいのではないかということだ。
百幸は一皇にしかずといえども、
個人の課題は一幸の範囲であり、
その枠外は副産物的にもたらされるのが自然に思う。
ならば、夢のサイズは、
まず、君の一幸を阻害しないように設定せねばなるまい。
だから、考慮の順序的には、修身斉家治国平天下の方が好ましそうだ。
そして、その夢によって、
日常をワクワク過ごすことができているかどうかで、
そのサイズを調整するのがいい。