立ち止まることを忘れる。
立脚への喜びは、最初の一回のみ。
問われる「次は?」
湧き出る石油が尽きた時、ガソリン車の未来は止まる。
ならば、電気を。
朝も夜も光を灯す「力」
進む力を議論する時、「進むこと」の是非は問われない。
光の明るさを考えるとき、「光ること」の意味を翻らない。
そんな目隠しをして、喧々諤々。
焦燥は、視野の焦点を絞ることで、回答を導出していく。
限定的な解が、いずれ破綻を招くとしても。
読みの深い棋士には悪手。
読みの浅い同士であれば、悪手は盤面に露見せず、終局する。
「時間」は「浅い読み」を許さない。
必ず、未来にそのツケが回される。
そのときの勝者が「善かどうか」時世が世論を決める。
しかし、より高次であろう真理は、どの時代にも問うのだ。
その「善」は「善かどうか」
例えば、数学。時系的なスケールを包み込むことができる。
逆行への恐怖。
恐怖の妄想性。
しかし、全てを一度手放した後で、やっとわかるのだ。
君に必要なもの。
そして、それらの中に、僕たちに必要なものがある。
すると、その中から、これからに必要なものが、
明瞭に浮かび上がることになる気がする。