海揺録

自律とか、自由とかが、たぶんテーマです。以前は、精節録というブログ名でした。

無常と希望

熱狂や信仰。

学問や熱中。

集中と感動。

 

絶えず動く感情と

社会的な動物としての本能があわさって、

集団的な圧力はその力を増す。

 

言葉なく生きることを全うする生物もいる。

 

我々は、言葉を覚えたばかりに、

その無意識に犯される。

 

ただ生き続けることに、

何一つ感情的になる必要などないのに、

その波に従って、

意味を考えたり、

今を嘆いたり、

人を蔑んだり、

暇を持て余すのだ。

 

「幸せ」の状態を意識した途端に、

その土俵の内と外があらわれる

 

定義したものだから不明瞭さを戸惑う。

その戸惑いで、土俵の外に追いやられ。

 

必死にとどまる者。

必死さが仇となり土俵を狭める。

 

いっそのこと「言葉」から離れよう。

そんな努力も虚しく、

無意識は懸命に腰を振る。

 

なるほど。諦めるしかない。

諦念。賢者を待つ。

 

この心の状態も、

浮かぶ言葉、沈む思い、気だるい身体。

 

「よくしよう」と思った途端に、

再帰的悪循環へ。

 

しかし、これこそが人間か。

受け容れるも何も、それより他ない。

 

受け容れざる「不幸」も、

避けられぬ苦しみかもしれず、

 

この先に繰り返す歴史も、

おそらくいくら学んだところで、

避けられなかったことなのだろう。

 

死の克服?

そう、そういう話だ。

 

平穏だなあと感じる日々に「感謝」しているとき。

それがまた、繰り返される歴史の始まりだと気が付かないし、気がつく必要すらない。

 

面白いことに、

論理は全てが無常と悟ろうとするが、

直観は常に希望を抱いている。

 

戦争の最中でも笑う人は笑う。

その先に銃口が待ち受けていようとも。