あの煩わしい蚊という生き物が、
自分よりも明らかに生物的に強い相手から、
時には命と引き換えに血を吸わずにいられないように、
人間の中にも、
自分より明らかに幸福な人々から、
時には自分もが不幸になることを知っても、
他者の幸せを邪魔せずにはいられないような、
そんなはた迷惑な「不合理」が確かに存在している。
この不合理は、まさに生物的な仮面を被って、我々の前に幾度となく現れる。
蚊で言えば吸血。人で言えば醜悪な嫉妬行動。
私が実際に見たことのある悪魔がいるとすれば、
こうした愚行にそれらしい仮面をあてがっている存在を指すのだろうと思う。
逆もある。悪魔がいれば、天使もある。
しかし、面白いことに、
少年漫画の世界とは異なり、
現実の中には、改心して血を分け与えたり、
相手からもらった「血」を返すような「蚊」など、
未だかつてその存在を聞いたことがない。
蚊など可愛い。
醜悪さに身体が与えられた場合、
この腐ったリンゴが世界にあたえる腐敗の伝播は、
本当に何の価値もないどころか、工害に近い。エゴイズムは人を腐らせる。
目の前の生物の本質が「腐敗的」であるかどうかを洞察しなければならない。
奇妙なことに、直感的に彼らには共通点がある。
その身体的な年齢にそぐわない幼児性が垣間見えるはずだ。
特に嫌悪感を催すほどのそれを保持している相手とは、
まさに近くで同じ空気すら吸わない方がいい。
蚊や赤ん坊などは、おそらく可愛い気があるのだ。
それは、純粋な本能。そして、我々自身にもそれがあることを知っているから。
彼らのは、歪曲して肥大化したエゴ。
中途半端にませたガキに感ずる苛立ち、
その何倍もの別質の気持ち悪さがそこにある。
「立派な大人」の仮面で取り繕った「無能さ」
「母性」の仮面の下に隠された「愛情飢餓」
「父性」の仮面の裏にある「口唇欲求」
子供たちは、ここに感ずる「吐き気」から目を逸らす。
教師が、まさか犯罪者であってほしくないという性善説を、おそらく信じる。
全ての人間の仮面の内側が善的であったら、どれほどよいものか。
しかし、蚊は、どんなに足掻いても蚊であるように、
悪魔は、どんなに足掻いても悪魔なのだ。
救いはある。
それと同様な構造で、
天使たちは、どれだけその纏っているものを剥がれようが天使なのだ。
気持ち悪いときには正しく嘔吐せよ。
その鬱屈は溜め込まれると君までも悪魔に変える。
蚊と正面から向き合うな。
君が大人ならば、そっと部屋を移動すればいい。