最高に面白いゲームを買ってくるとする。
その同じ日に、ゲームの攻略本も一緒に買ってくる馬鹿はいない。
最高に面白いミステリー小説を読み始める。
その最中に、ネタバレサイトを閲覧する馬鹿もいない。
一番、難解な壁を試行錯誤しながら登攀する。
そのプロセス自体が壁を越える愉しみのまさに中核なのだ。
予想が容易いミステリーやサスペンスであっては、なんとも味気がない。
うまくいくことが果実だとして、スーパーに陳列されたスモモと、自らが苗から育てた果樹に実ったスモモでは、その味わいに雲泥の開きがある。
過程を愛することで、最も豊かな味わいを感じることができる。
途轍もなく面白い展開を、
そのときに面白がるために、
先の展開はベールに包まれている。
ゲームの難易度設定がおかしいとすれば、
それは、プレイヤーの能力も
それに比例しておかしいレベルにあるという証左だ。
真に欲する感覚がベールの中ならば、
どうしてそれを事前に想像できようか。
僕たちは、想像しているそれを求めているようで、
本当は、想像のその先を欲している。
雲を掴むような試行に身を焦がしながら、
未だ光すら届かぬ遠くの星に恋焦がれている。
物理空間に飽いた意識は、
抽象空間への探索に乗り出していく。
文字での探索は、
陸路の旅のようなもので、いずれ限界を迎える。
感覚による探索は、航路の旅。
次の地点など、島に近づくまで視認できない。
波に任せて進むのみ。