海揺録

自律とか、自由とかが、たぶんテーマです。以前は、精節録というブログ名でした。

気の発露

自然に表明される「怒り」は、

とても爽やかで、内側に残らない。

 

負の感情をいたずらに押さえ込むことは、

これは、排便を我慢しているそれと似ている。

 

出したくなったら出す。それが一番だ。

 

「場所を弁えろ」という圧力。

であれば、比喩を変えよう。

 

吸った息を吐かないなどということはできない。

呼吸に場所は関係ない。

 

息を止めろということは、

なるほど、君に死ねと言っていることと同義なのだ。

 

我慢を強いる支配性。

甘えと依存の憐憫性。

 

相手をコントロールしようとする幼稚さには、

正当に「排便」をぶつけることが正しい。

 

いや、相手が出した汚い息を、

こちらが吸うことなく、相手にそのまま返してやるということだ。

 

 

「気」というものは正直で、

君がやりたくないと感じたら、

それをやらないというのが、最適化された選択なのだ。

 

その発露を感じる精神を。

それを信じる勇気を。

あらゆる不自由の束縛を切り刻む苛烈さを。

理不尽を理不尽として憤る正直さを。

 

一度、君が君の「強さ」に気がつけば、

それはとどまることを知らず、君の全てを揺らし始める。

 

舐められないようにと振舞うのではなく、

そうした態度を許さないからこそ、

君の周りは綺麗な空気になっていくのだ。