自然に表明される「怒り」は、
とても爽やかで、内側に残らない。
負の感情をいたずらに押さえ込むことは、
これは、排便を我慢しているそれと似ている。
出したくなったら出す。それが一番だ。
「場所を弁えろ」という圧力。
であれば、比喩を変えよう。
吸った息を吐かないなどということはできない。
呼吸に場所は関係ない。
息を止めろということは、
なるほど、君に死ねと言っていることと同義なのだ。
我慢を強いる支配性。
甘えと依存の憐憫性。
相手をコントロールしようとする幼稚さには、
正当に「排便」をぶつけることが正しい。
いや、相手が出した汚い息を、
こちらが吸うことなく、相手にそのまま返してやるということだ。
「気」というものは正直で、
君がやりたくないと感じたら、
それをやらないというのが、最適化された選択なのだ。
その発露を感じる精神を。
それを信じる勇気を。
あらゆる不自由の束縛を切り刻む苛烈さを。
理不尽を理不尽として憤る正直さを。
一度、君が君の「強さ」に気がつけば、
それはとどまることを知らず、君の全てを揺らし始める。
舐められないようにと振舞うのではなく、
そうした態度を許さないからこそ、
君の周りは綺麗な空気になっていくのだ。