海揺録

自律とか、自由とかが、たぶんテーマです。以前は、精節録というブログ名でした。

凋落の前兆。感覚の声。

その人の偽りの全能感は、

あらゆる人々の協力のもとに成り立った「喜劇」であるのに、

 

この「興奮」によって視界が自己中心的で盲目になっていくと、

周囲への気遣いや、互恵性を忘れるものだ。

 

この人は、当然の成り行きとして、

まず、協力を少しずつ失い、

その結果として、凋落がはじまるのである。

 

自分の欲しいものだけを訴える幼児性は、

社会の中では相手にされないので、

 

うまくカモフラージュされた憐憫さや、

支配的な怒りの表現、

劇場的な煽動などによってその欲求を満たそうとする。

 

大きく付いた嘘の代償は、比例して大きく付く。

 

積み上げられた虚構が高ければ高いほど、

崩れ去るときの絶望は長く、そして痛い。

 

 

形をもとめる傾向の強さは、

その人の心にある、動機、

蝋燭に火が灯っていないことを示しているし、

 

自らを大きく見せようとする虚構性は、

その人の炎が小さく怯えていることを表している。

 

 

自らの「欲する何か」は、

自らの感覚でしか分かりようがないのだ。

 

これを常識的な視座や、

社会的なそれっぽさの中に求めるようとする人間らしい愚行は、

 

今日自分が食べたいものを、

世界のグルメランキングから探すような行為だろう。

 

そりゃあ、ランキングの中にあるときはあるのかもしれないが、

そんな探索的な労をせずとも、

自らにきけばいい。それが最も確かな「思い」なのだ。

 

 

肥大した歯車の帳尻合わせ。

「順調」だったはずの秒針は少しずつ狂って、不安定な時刻は焦燥を。

 

一度狂った歯車は、時計を止めて組み直さない限り、もう噛み合うことはない。

 

このまま地獄に進むのか、足を止めて虚構を精算するのか。

 

恐怖は「進め」と心を引っ張るが、

真実は特に何もせず「止まれ」と言っている。