海揺録

自律とか、自由とかが、たぶんテーマです。以前は、精節録というブログ名でした。

感じるもの

みえている景色というのは、

その道を行けば行くほどに

誰とも分かち合えなくなっていく。

 

しかし、それでよいのだ。

 

感覚を澄ませれば澄ませるほどに、

感じることも増えていけば、

さまざまなアンテナが反応するようになる。

 

その人の深さ、軽さ、祈り、願い、

想い、欲望、悲しみ、期待、焦り、

羨望、気力、苦しみ、鬱憤などが、

流れ込んでくるようになる。

 

分かるようなれば、迷わなくなる。

 

何を信じて、何を避けるか。

 

そのためには、

フラットな自分にたどり着く必要がある。

 

自己の安定をもって、

他者を感じる土壌ができるのだ。

 

自分の地質を知ることで、

流れてきた空気や水流がどんな様子なのか、

やっと見えるようになる。

 

あらゆる指標的な価値は、

彼らの大切な何かを示すことに気がつくが、

自らに大きな影響を果たさなくなる。

 

それは、その濁流が、

自らの水脈から起因するものではないのだと、

明瞭に区分できるようになるからだ。

 

「これは自分のものでなはい」とわかるのは、

自分の持ち物が整理されていればこそ。

 

そもそも、

何ももっていないとすれば、

来たる全ては誰かのもの以外ではあり得ない。

 

無欲とは、

はじまりであって、

それが目的地ではなく、

その上に、広大な幸福の種が埋まっている。

 

発芽するかどうかは、

もはや力の及ぶところではないものの、

この種は、そこに関わった人々の祈りとともに、流転する。

 

そうして肥えた土は、

いつの日か豊作の時を迎える。

 

そこにあるのは、

救いや、喜びではなくて、

きっと、当然の未来なのだ。