海揺録

自律とか、自由とかが、たぶんテーマです。以前は、精節録というブログ名でした。

棘を抜く

不思議なもので、妖術など到底信じがたいことなのだが、

人間の心理は、はたして妖術などよりも、

これを支配したり、苦しめたりだとか、

日常茶飯事なのだ。

 

「棘」のようなもので、

意識できるようになれば、自己の心理の違和感や、

他者の目の奥にある意地汚さを察することに長けてくる。

 

なかなか気づいたからといって抜き辛く、

時間をかけて徐々に徐々にそれを取り除く必要がある。

 

なるほど。刺した相手を切り落とすことができても、

棘はこちらに刺さったままなのだ。

 

寄生的な連中はこの刺さった「棘」をみつけると、

自分もそこから何かを得ようとして、刺し口を探ってくる。

 

まとわりつく「妖気」に気がついたら、

これを取り払うべく、その相手への認識を根本的に変える必要があるのだ。

 

人間や生き物として見れば情が湧く。

ならば「機械虫」として見做してしまうのが正しいやり方だ。

 

必要以上に与えることを堰き止め、

なんの感情も介することなく、

合理的に淡々と処理していくのだ。

 

「機械虫」に頭を下げることはない。

苛立つ所作も無駄だ。

相手の感情を慮ることをやめる。

そうすると「妖気」はこちらからのエネルギーの供給を絶たれるので、

霧散していくのだ。

 

判然とするではないか。

「妖気」は確かに相手から発していたものだか、

その根本的な源は、自分が与えてたエネルギーだったのだ。

 

棘が抜けにくいのは、

まごうことなく、それが自分の気で構成されていたからであり、

問題は「君が与える相手」を間違っていたという点にあるのだ。

 

 

金貸しは、最初に相手に貸すのだ。

しかし、我々の仕事は「貸す」ことではない。

本業は「回収」にある。

 

さて、ゆっくりと抜いた棘は丁寧に返却してさしあげよう。

 

オセロは先を見越していた方に勝機が訪れる。

 

いつだって「反撃」のフェーズが特段に心躍るではないか。