不思議なもので、妖術など到底信じがたいことなのだが、
人間の心理は、はたして妖術などよりも、
これを支配したり、苦しめたりだとか、
日常茶飯事なのだ。
「棘」のようなもので、
意識できるようになれば、自己の心理の違和感や、
他者の目の奥にある意地汚さを察することに長けてくる。
なかなか気づいたからといって抜き辛く、
時間をかけて徐々に徐々にそれを取り除く必要がある。
なるほど。刺した相手を切り落とすことができても、
棘はこちらに刺さったままなのだ。
寄生的な連中はこの刺さった「棘」をみつけると、
自分もそこから何かを得ようとして、刺し口を探ってくる。
まとわりつく「妖気」に気がついたら、
これを取り払うべく、その相手への認識を根本的に変える必要があるのだ。
人間や生き物として見れば情が湧く。
ならば「機械虫」として見做してしまうのが正しいやり方だ。
必要以上に与えることを堰き止め、
なんの感情も介することなく、
合理的に淡々と処理していくのだ。
「機械虫」に頭を下げることはない。
苛立つ所作も無駄だ。
相手の感情を慮ることをやめる。
そうすると「妖気」はこちらからのエネルギーの供給を絶たれるので、
霧散していくのだ。
判然とするではないか。
「妖気」は確かに相手から発していたものだか、
その根本的な源は、自分が与えてたエネルギーだったのだ。
棘が抜けにくいのは、
まごうことなく、それが自分の気で構成されていたからであり、
問題は「君が与える相手」を間違っていたという点にあるのだ。
金貸しは、最初に相手に貸すのだ。
しかし、我々の仕事は「貸す」ことではない。
本業は「回収」にある。
さて、ゆっくりと抜いた棘は丁寧に返却してさしあげよう。
オセロは先を見越していた方に勝機が訪れる。
いつだって「反撃」のフェーズが特段に心躍るではないか。