昔々、古の村に、悟りを得たとされる老僧がいた。
彼は長い間、山の中で瞑想し、多くの苦行を経て、
ついに悟りの境地に至ったと言われていた。
村の人々は老僧を尊敬し、彼の教えを求めて絶えず訪れた。
老僧は自らの悟りを語り、その言葉は深く、
時には謎めいていたが、人々はそれを真実の証と信じた。
しかし、時が流れ、ある若者が老僧のもとを訪れた。
この若者は遠い地から学びを求めて旅をしており、
多くの師から教えを受けてきた。
彼は老僧の言葉に耳を傾けたが、やがて一つの疑問を抱いた。
若者は尋ねた。
「師よ、あなたの教えは深いが、それは何年も前に得た悟りに基づくものです。
この広大な世界と、絶えず変わる万物において、
新たな真理を見つけることはもはやないのですか?」
老僧はしばし沈黙し、その後、深いため息をついた。
「わしの悟りは、確かに年月を経て変わらぬものじゃ。
しかし、お前の言葉には真実がある。
わしは悟りに固着し、新たな学びを求めることを忘れておった。」
実のところ、この老僧は、
自らが語っていた思想の奥深くには、
未知の深淵があることに気がついていたのが、
それに対して、見て見ぬふりを続けていたのだ。
老僧は、目の前の若者が、
その深淵の中に歩みを進めていることに気が付いた。
深淵に入るためには、
思想の体系や法則性に拘ることを手放し、
言語的な縛りも脱ぎ捨てることが必要だったが、
若者は雲を遊泳するかのように、そこに進んでいた。
それからしばらくして、
老僧も若者の背を追って、
新たな真理を求めて未知の地へと旅立った。
旅の中で、老僧は世界が常に変化し、
おそらく無限の真理が存在することを再認識した。
彼は気がつくと思考の固着から自由になっていた。
そこには、更に深い心の安寧があることを知ったのであった。