海揺録

自律とか、自由とかが、たぶんテーマです。以前は、精節録というブログ名でした。

靄をそのままに

何かを見つめるとき、

頭の中の妄想が視界に「解釈」を与えることがある。

 

意味のわからない景色ほど、

僕らはそれに意味を見出すのかもしれない。

 

水晶の占い。

相場の行き先。

陰謀論の悪役。

 

混乱らしきものに、

秩序性がみいだせることもある。核分裂

 

秩序の直観。素数列。

神の啓示。ラマヌジャン

 

 

確率的な記述は、

混乱の解釈として有用に違いない。

 

一見、正規的ではないデータですら、

中心極限定理では正規的に解釈できることがある。

 

 

しかし、

靄にうつるそれは、妄想であり、

その視界には、

靄以外ないのだということを理解してはじめて、

靄の解析に移ることができる。

 

 

妄想的解釈の根本には怠惰と傲慢がある。

その危険は、射幸心によって肥大し、

誤った解釈がもたらす結果は、

多くの場合、悲惨なのだ。

 

 

眼前に何もうつらない時もある。

「何もなかった」という現実を認めることもある。

 

その証明は、

そうでないときの証明より困難なこともある。

 

だからこそ、その過程の中に、

幾多の技術や技法、発見や発明があった。

 

意外にも、

現在進行的に用いられている結果というものには、

そうした「現実的な道具」が多い気がする。

 

 

夢が夢のまま終わったとしても、

手元に残ったそれらは、夢の残骸などではない。

 

それこそが、まぎれもなく、現実だ。