それはなんのために?
お金のため?
セックスのため?
身近な誰かのため?
いずれも報酬系の話に帰着する。
何を報酬と設定するかという差の問題であって、そこに感情が介在するだけ、AIが盤上で強化学習する姿と相違ないのだ。
君は「AI」に思うだろう。
ああ、限られた世界で幸せかい?と。
そうなのだ。
報酬系の世界はわかりやすく、
それ故に「幸せ」になる道筋も学習によって、
再現しやすい。
しかし「小さい」のだ。
その思索の至る範囲の問題。
見えない報酬系の糸のしがらみを、
ひとつひとつ丁寧に取り除いたのなら、
そこに残った「僕」は、
やっと僕になる気がする。
そこには「目的」のない世界があって、
ここはとてつもなく「広い」
報酬系によって切迫されていた義務感は霧散し、
そこにあったものは何もない。
一種の空虚が漂う。
そこには「目的地」を失った「車」が横たわる。しかし、よく見ると、どうやら「ガソリン」が湧き出ている。そんなこともあるらしい。
そこに残っている好きな人や事があれば、
それこそが自分というものだと、
心地よく腑に落ちていく。
この「自分」はその旅路の先で、
明らかに人類の意思と繋がっている。
その「声」を聴くように、
日々を歩みゆけば、
枯渇することのない「ガソリン」と共に、
生を謳歌することができたのだ。
これを「湧出的動力」とでも呼ぼう。
さよなら「給油的動力」