海揺録

自律とか、自由とかが、たぶんテーマです。以前は、精節録というブログ名でした。

依存と罪と。

依存と罪悪感は循環関係にある。

 


自分に罪を着せるものは、

常に自分より優位にあらねばならない。


厚顔無恥な貴族は、

奴隷を痛めつけることに

後ろめたさを感じないが、


奴隷は、痛めつけられている自分を省みて、

次は主人に目をつけられないようにと、

「罪」の意識を増やしていくことになる。


「あれもだめ」「これもだめ」

というのは、だから奴隷の言葉なのだ。

 


本当に「悪い」のは、

いじめている行為そのものであろう。


そこに理由があろうがなかろうが、

そんなものは関係ない。

 


「罪」は意識であり、

「悪」とは別物だ。


なるほど。君が「罪」を感じているとき、

「悪」は君以外のところにあるのだ。

 


仮に、奴隷たちが支配から抜け出したとして、

行動から罪の意識が消えない理由は、

悪が消えても、罪は君の中に残っているからだ。


しかし、自由の身となり、

君の主人が君となったのであれば、

君が君を許していくだけで、

罪の意識は薄くなっていくであろう。

 

 

さて、君の主人は誰だ?

 


思い浮かぶ顔が自分以外なら、

それは依存と罪と自己破壊への危険信号だ。