霞草の花には、霞草らしさが宿っている。
薔薇の花には、薔薇らしさが発露している。
もし、霞草が薔薇に憧れるようなことがあって、あの細い腕に大きくて重たい花弁を載せようとすれば、どうなるだろうか。
アドラーは、怒ることと、褒めること、人間関係におけるこのような態度を、諌めていた。
大抵、ではどのように相手と接すればよいのかと、疑問が浮かぶ。
最も分かりやすい回答は、感謝を伝えるという、対等な態度を選ぶことだ。
少し難しい表現では、勇気づけという話になる。
これに関連しているか分からないが、
私は「らしさ」について、相手の本性を観るということが、
バランスの取れた態度の一つになるのではないかという確信を得た。
「君は凄いね」という言葉よりも、
「その作品、とても君らしいね」という言葉は、
自分に対しても、相手に対しても、調和的だと感じる。
らしさを発揮していく、ということが、
おそらく万物に求められている、存在の価値そのものだ。
君は、君らしくあって君であり、
僕は、僕らしくあって僕だという、
至極当然で、シンプルな話に、あらゆる答えが内包されている。