誰に何を頼まれたわけでも、
神から余命の宣告を受けたわけでもないが、
吉田松陰の死への覚悟についての一節が頭の片隅に鎮座してから、
「あした死ぬかもしれない」という言葉を反芻する。
自然に任せておけば、言葉だけが上擦りそうになる。
まるで、蝉の抜け殻から鳴き声だけがきこえているようなものだ。
今、目を閉じれば、これで人生が終わるとして、私は何を思うのか。
親からの恩に報いきれていないことは、悲しい。
やり残した仕事を思えば、口惜しい。
現世に残される妻と子に少しでも何かを残して逝きたかったと、心が痛む。
公共財の有り難み、慈善的な企業の姿勢、
そういった力に散々助けられてきたのに、
社会からもらった以上の何かを、ほとんど返せていない。情けない。
先送りにされていた後悔の種が、死の直前で花開く。
今、最期の晩餐を迎えたとして、
そこに並ぶのは、とても食べきれないほどの借用書だ。
簡単には終わらないゲームを所望したのは自分だが、
まさか、最初のステージだけで、これほどの時間を費やすとは。
誰の目にも明白な成果として、10年がかりの結実を、今まさに望む。
条件のカードは、出揃っているようで、結実の確信は日々強まっていく。
少しでも多く、恩に報いたい。
少しでも価値のある力を、次に繋げたい。
豊かさを循環させる一部として、未だ力及ばぬ現状に、どうか光の導きがあらんことを。