海揺録

自律とか、自由とかが、たぶんテーマです。以前は、精節録というブログ名でした。

「先祖の数」と「先祖の願い」と「我々の幸せ」

まず、親。これで2人。

次に親の親。ここに4人。

親の親の親。8人。

 

すると、数列はこうなる。2^1 + 2^2 + 2^3 + ... + 2^n

 

人類の起源を、700万年前くらいの猿人と仮定して、

世代をざっくりと20年刻みで考慮してみて、

 

n = (7,000,000 / 20) = 350,000 世代と見積もってみる。

 

では、さっきの式の最終項の 2^n の手触りをほんの少し実感してみようと思う。

 

2^10 = 1,024 人:約1000人(小学校2つ分くらいの規模感とも言える)

2^20 = 1,048,576 人:約100万人(日本において政令指定都市ができる人数)

2^30 = 1,073,741,824:約10億人(日本の人口の約8倍くらい)

2^40 = 1,099,511,627,776:約1兆(世界の人口の約150倍くらいになるはず)

 

350,000世代中のほんの40世代、約800年前。

これは、鎌倉時代くらいだろうか。

このくらいの段階で、自分の祖先として、

今の地球150個分にあたるであろう人々の存在が浮かびあがってきた。

 

※ 実際には、上記の推定は非現実的な数値になっていて、当時の人口など*1から、親の重複(重婚など)を考えて計算する必要があるはずで、気になる部分ではあるものの、記事の趣旨とずれるので割愛。

 

さて、n = 50 以降を計算するのは一旦止めて、

次に、この数字の価値を知ろうと思う。

 

「人は子孫の幸せを願う」という仮説を採用して、

莫大な先祖の願いの平均を計算してみれば、

もちろん「子孫の幸せ」という部分に連鎖的に繋がってくる。

つまり、この子孫というのは、私たちのことだ。

 

ならば「自分が幸せである」ということは、

先祖の平均化された願いを叶えることと同義になるらしい。

そして、先祖の数は、現に地球上に存在している人口(現時点で70 ~ 80億人)をはるかに凌駕している。あるいは、比べることすらあまり意味のない差があるとも言える。

 

こう考えていると、

万が一、あなたの親などが、

あなたの幸せを嘲るような、悲しい悪党だったとしても、

そんなことは些細なことなのかもと、考えを広げる道ができるような気がする。

 

なぜなら、親以上の世代にはとんでもない先祖たちの願いがあり、

その願いは基本的には子孫の幸せを願うものとして考えてもよさそうだからだ。

 

我々が自己欺瞞なく「幸せ」な状態であれるということは、

空間的に考えているだけだと、その真の価値を捉えることは難しく、

しかし、時空的に考えてみると、

少なくとも私には想像を遥かに超えていくような価値が、

そこにあるものだという気がしてならない。

 

先祖から引き継がれてきた命への感謝は、

あなたが幸せであるという状態によってのみ示すことができる。

 

そう思うと、腹の底から力が湧いてくる。

 

*1:内閣府が提供していた資料「平成16年版 少子化社会白書」には以下のような記述がある「縄文時代には約10万人~約26万人であり、弥生時代には約60万人であった。奈良時代には約450万人、平安時代(900年)には約550万人となり、慶長時代(1600年)には約1,220万人となった。江戸時代には17世紀に人口が増加し、18世紀には停滞して、おおむね3,100万人から3,300万人台で推移した。」