すんなりと判断できたときに気がつく。
自分に正直な判断というのが、意外とできていなかったりしたことを。
人のことを考えてみようと育つ。
しかし、人は相手のことを考えたりしないと思っていた方が実用的なのだ。
相互主義は、認知の歪みの前に頓挫し、
返報性は、「有り難み」の慣れと逓減で台無しになっていく。
となれば、気の進まないことをどれだけ自覚できるかという部分を基底にして、
それを如何に波風を立てずに回避していけるかという不断の努力が求められる?
他者になにも求めやしないので、僕に求められても、無関心で構わない?
そこに落ちている林檎は勝手に食べて構わない。
恩に着せる必要のないものだけを与えてもよい、という縛りを自らに課そう。
仮に世界平和が存在したとして、
そこにあるのは恩付けがましい愛よりは、心穏やかな無関心。
人工的な感謝ではなく、自然の恵み。
交換ではなく、余剰。
希少性に呪われた人類には、難しい課題。
余計なことを考えていると、迷いが直観をぶらす。
なんとなくやめておこうを見逃さないように。
くだらない扇動の声は常時ミュートに。
大事な声と、そうでない声を識別できる知恵は、
日々の学びの中に。
幼児では我儘過ぎるし、大人では自分がなさすぎる。
この間にある子供が正直さではスコアが高い。
愛は余剰にその価値があり、
この余剰は、自らへの正直さを蛇口として、
そこからコップに注がれていき、溢れ出したときに生まれるようだ。
何かをやる理由を探しているとき、君は欺瞞の中にいる。
正直な行動に理由はない。
明日早いから寝なければ、は欺瞞的就寝。
眠いので寝た、は正直な睡眠。
やりたいことがあるのなら、やりたくなるまで待つだけでいい。
もし、その日が来なければ、やりたいことではなかったのだ。
承認欲求はダンスの相手に相応しくない。
正直な気持ちと踊れば、それだけで楽しいだろう。
簡単なことが難しかったりするから面白い。