体験が夢を現実に引き戻す。
欲望は常に夢を見せる。
彼に「実現する力」があればあるほどに、
夢は現実のものとなり、
期待していた「報酬」は大抵思っていたよりも小さいことを、
繰り返し学習していく。
夢に進むそのうちに、
その進度に比例して「報酬」は大きくなっていく。
過去の夢で期待していた報酬をはるかに超えるそれらを手にすることになる。
そして、ある時になって、
もはや自分が何も欲していないことに気がつくのだ。
時と人は面白いことに、慣性の法則に従うかのように、
彼に「報酬」を与え続ける。
彼は受け取るものの、それらに執着を持たなくなっていく。
知性が洗練された上で、
富が増えれば増えるほど、
「欲しいものごと」は低減していくのだ。
彼は何かが奪われたとて、それを残念がりはすることこそあれ、
絶望することがなくなっていく。
「あの木の上にあるぶどうは酸っぱいから、僕は食べないのだ」という自己欺瞞者。
「あの木の上にあるぶどうは思っていたよりも甘くなかった」という実践者。
「もうお腹いっぱいだ」という達成者。
「君も食べてみたいのかい?取ってきてあげよう」という慈善者。
「ここにあるぶどうはご自由に」という浮遊者。
自由の地層を掘り進めば、そこには無欲が広がっている。