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精節録 —オナ禁で得た知見—

依存や自律というものと向き合う中で考えたことを書いています。もしも、同じようなテーマについて考えている方がいれば、僕もその一人なので、共に考えていけたらとても嬉しいです。

夢はポケットの中に

さて、性欲と向き合うためにはどんな方法があるだろうか。

ひとつに、性的な欲望のレベルを下げていくということがある。
例えば、僕の場合、食事に対する欲望のレベルというものは、生活が他のことで満たされていくことでどんどん下がっていった。睡眠に対する欲望のレベルも同様で、何かに集中できているときは眠くなりはしない。つまり、「それ」以外の何かによって生活を満たしていくことで「それ」に対する欲望はその領域を狭めていく。欲望のレベルは相対的に下がるのだ。実際に胃袋に何も入っていなくとも、丸一日起きていようとも、何かに集中しているときは腹も減らないし眠くもならない。
話を飛躍させよう。

なぜ生きるのか、という問いに真剣に向き合うならば、なぜ食べるのか、なぜ寝るのか、ということの根本を求めることができる。この問いと向き合い、その解を求めたり、創り出していくことで生活が満たされていくならば、その他の欲望は静かにレベルを下げていくに違いない。おそらく、他者からの承認欲求などもそうなるだろう。世俗的な快楽の類は、生きる意味に満たされた生活の中においては、入り込む隙間などなくなっていかざるを得ない。
抽象的なイメージとして、心の中では常に領域の奪い合いが行われている。欲望はそれぞれ自我を持ち、それぞれが満たされようと他の領域を相対的に狭めていく。すると、生きていれば新しい欲望が次々にやってくるものだから、欲望の地図は、死ぬまでにどんどん大きくなっていく。そして、それに伴って残された時間はどんどん少なくなっていく。すると、人生は後半になるにつれて、短く感じていくのだろうということが予測できる。人生の焦燥感は、欲望の地図の大きさを残された時間で割ったものに等しいであろうから。
ならば、死ぬまでに向けて、どんどん自らの欲望の地図を小さくしてやっていくべきなのだ。それは欲望を諦めていくということではなく、相対的な領域の奪い合いをやめさせるということを意味する。本当に求めるべき欲望を絞り込んで生きていこうと決めれば、欲望たちは小さな地図の中に治まってくれるような気がする。すると、無益な領域の奪い合いは止まるだろう。それぞれが実現に向けて動き出したならば、その一歩一歩が達成感となり地図に印を刻んでいく。肥大していた欲望は、一歩の実現と同時に、主張をやめて現実的なサイズに縮小していく。

そうすれば、きっと人生はもっと豊かにできる。残された時間でも十分にその欲望のために進むことができるならば焦燥感を計算する必要もない。地図がポケットに入るサイズになったのなら、それは現実的な夢を手にしたことと同じだ。それは、空想的ではない自分の生きる意味を手に入れたことと同じだ。ならばこそ、一歩一歩を焦ることなく進み続けていくことができるのだ。

 

 

 

 

 

 

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