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精節録 —オナ禁で得た知見—

依存や自律というものと向き合う中で考えたことを書いています。もしも、同じようなテーマについて考えている方がいれば、僕もその一人なので、共に考えていけたらとても嬉しいです。

自らで道をつくるのか。その目の前にある道を歩むのか。

自由を失う生活に慣れ親しんだものは、自己決定に伴う苦悩や、必要とされるエネルギー、そして、なによりも創造力の不足、そういった事柄に耐えられなくなる。
不自由は実のところ楽である一面も強い。行動に制限があり、判断の範囲は極めて狭いから。
自由は逆に、過酷な面が強い場合が多い。自己決定も自己批判も、自らにおける善悪の定義も、自らによって最終的に決断しながら、そして、行動する必要があるからだ。叱責も肯定も自らの手のうちにある。論理的には正しいことも、心が納得しなければ、その論理は現実的に成り立たない。

敷いてあるレールを進むのも大変だと思う者は、その生活しか知らされてはいない、あるいは知らないからに過ぎない。
自らでレールを敷くことのほうがどれだけエネルギーが必要になるかは想像に難くないはずだ。困難な道を選択するならば、どこまでも困難を創り出していける。妥協できない者は、そのレールをマグマの上に敷くかもしれない。
しかし、大切なことは、同じくらいに厳しいレールであっても、誰かが創ったのか、自分で創ったのかでは、どれだけの心理的な違いがあるだろうか、ということだ。

表面には同じように見える生活も、その根底が、創造的であるか、依存的であるかによって、潜在的なエネルギー量は驚くほど違うはずだ。

 

 

 

 

 

 

 
 
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