海揺録

依存や自律というものと向き合う中で考えたことを書いています。もしも、同じようなテーマについて考えている方がいれば、僕もその一人なので、共に考えていけたらとても嬉しいです。精節録というブログ名でした。

先生「木が四角に囲われている。困という字です。」

生徒「囲われていては、木は成長できないということですかね。」

 

先生「まさに。言い換えれば、下の壁を外せば根は伸びますし、左右や上の壁が外れれば、幹や枝葉を伸ばしていくことができそうです。」

生徒「現実は立体空間ですから、実際には6面の壁がありますね。」

 

先生「いかにも。現実に応用するとなると、困っている状況を打開するアイデアは、少なくとも複数存在しているのだという事実を教えてくれます。」

生徒「例えば、牢屋に閉じ込められた囚人は手枷を付けられていることもあります。いずれかの壁を破壊できたとしても、手錠の鍵が欲しいところです。」

 

先生「その考え方が、困という状況の最初ですね。手錠を外す方法を考えるとき、鍵という発想だけにとどまっていると、抜け出せないことが多いです。」

生徒「なるほど。研磨や腐食など、手錠を外す方法は、他にもいくつかあるということですね。」

 

先生「はい。この考えは『幸せ』にも応用できると思いませんか?」

生徒「うーん。勉強だけが全てではないってことでいいですか?」

 

先生「ふふ、少し早計ですね。自分が人生に必要だと考えていることが、必ずしも必要ではないこともあるし、代替となりうる手段は他にも沢山あるらしいということについて考えたかったのです。」

生徒「もちろん冗談ですよ。しかし、今日は真夏日、我々はエアコンなしでは生きていられませんよ。」

 

先生「そうですね。ならば、北極に別荘を作りに行きましょう。」

生徒「いやいや、コンビニも必要ですよ!」

 

先生「コンビニにある商品、全てが必要ですか?」

生徒「そんなことはないですが。」

 

先生「では、具体的に考えてみましょう。必要なものって案外少ないと思いますよ。」

生徒「必要を減らせば、手段は増え。手段が増えれば、困窮は減る。逆に、必要が増えれば手段は減り、手段が減れば、困窮が増す。こういうことですか。」

 

先生「言い換えると、重要な欲望を選別して生きれば幸福は増し、無分別な欲望のままに生きれば幸福は減るのではないかという仮説が考えられそうです。」

生徒「困窮と幸福が、連続的な概念に思えてきました。ここに隠された重要な変数は、とりうる手段という関数なのかもしれないですね。」

 

先生「実際には、我々が強く実感するように、手段だけでは何も成すことはできず、実行するための勇気や活力が欠かせません。」

生徒「実行するかどうかのゲートを潜り抜けなければ、多様な手段も無意味ということですか?」

 

先生「しかし、先ほどの関数の話はほとんど正しいと思います。手段の多さは、つまり実行の可能性や難易度の多様性に直結しますからね。」

生徒「とりうる手段の数と、その多様性についての分散が大事ということですか。」

 

先生「板書しておきましょう。y = gate(courage, vitality, [method])。」

生徒「ひとつ気がつきました。困難と幸福は連続的なスペクトラムを成していて、それぞれが存在するからこそ、それぞれが存在するのですね。」

 

先生「美醜、大小、善悪、といった概念と似ていますね。」

生徒「であれば、我々は幸福を喜ぶように、困難を喜ぶこともできるのでしょうか。」

 

先生「困難を悲しむことができるからこそ、幸福を喜べるのではないのですか。」

生徒「いやはや、悲しみと喜びもセットですか。」

 

先生「自分にとって難しいゲームを、上手にプレイできるのは、大変ながらも非常に楽しいものです。」

生徒「分かります。」

 

先生「長くなりました。今日は、このくらいにしておきましょう。」

生徒「『困』という字が、幸福の卵に見えてきました。ありがとうございました。」