心理的慣性とは本当に不思議なものだと思う。
あれほど欲していた「自由」を手に入れてから、
1年が過ぎた今、
現在の自分が「あの頃の自分」に無意識に戻ろうとしていることが
度々あったということに気が付いて、静かに戦慄が走った。
・自分勝手な依存や罵倒
・不当に時間やお金を奪う
・優しさを利用してくる
そんな相手がよく目の前に現れては、
自分が疲弊していたことには気が付いていたが、
この真相は、笑える話、
自分の無意識の欲望と無関係ではなかったのかもしれない。
少しずつ彼らから距離をとる術を覚え始めて、
「しかし、なぜ今までうまく距離を取れなかったのか」
冷静な今そんなことを考えてみると、
自分自身の状態に気が付ける。
「今の自分」に「ノー」を突きつけてくる人を求めたりするのは、
自己不満の外化の一種だろう。
なぜ自己不満が生じるのかというと、
「自己不満」を自己に抱かせる「環境」を選択することによって、
自己を貶めることを選択しているからだ。
それによって、手に入れた自由を手放す理由を求めては、
無意識にあの頃の「不自由」に戻ろうとしていたのかもしれない。
それは「心理的な束縛」によって自縄自縛することであり、
自己を徐々に蝕む毒の海に浸かっていたいという極めて屈折した欲望だ。
しかし、慣れ親しんだ環境に戻りたいという、
初めて親元を離れる子供の素直な心理に近しいものでもあるから、
そこまでおかしいものではない。
だから、毒親の元から離れる子供を見守るような視点で、
自分を応援していきたい。
「大丈夫。今はまだ慣れないかもしれないけど、君はその『自由の海』にふさわしい。君にしがみつこうとする毒牙は遠慮なく引き抜いて、前に進もう。君に犠牲を強いる人々からは勇気を持って離れるんだ。選択の自由は『相互的な優しさ』を選択するために使うのだ。君は君の人生を君のために使っていい。誰かが『君が君のために生きる人生』を応援してくれるのであれば、それが、君にとっての仲間だ。そうじゃない人々は、残念なことに仲間ではなく、毒牙だ。その切り分けを慎重に。仲間を増やして、毒牙を抜いて、大海を渡ろう。」
なるほど。
仲間とは、相互に互いの人生に興味を示し、
応援し合う関係ということなのだろう。