海揺録

依存や自律というものと向き合う中で考えたことを書いています。もしも、同じようなテーマについて考えている方がいれば、僕もその一人なので、共に考えていけたらとても嬉しいです。精節録というブログ名でした。

自己否定の声

最近、自分の「心のざわつき」について、

割と感受性が高まってきていて、

その中でも一番考えてみたかったことについて

この記事に書いてみようと思う。

 

「自己否定の声が聞こえた時にしてみるといいかもしれないこと。」

・いい部分に思い馳せる。

・いい言葉を受け入れる。

・いい部分を掘り下げる。

・いい言葉の通りに振る舞う。

・一旦その声を聞く。

・初心に戻る。

・一番したかったことを思い出す。

・無意識を表に出す。

・怠っていた「ゴミ出し」と捉える。

・一度書き出す。

・「否定の声」の存在を認める。

・周囲の賛同ではなく、自分の納得を追求する。

・褒賞を否定しない。

・大切な人に向ける愛情と同じくらいの愛情を自分にも向ける。

・相手がどんな態度を取ろうとも「きっと大丈夫」だと単純に信じる。

・好きなことをする。

・ぼーっとする。

・自分が喜ぶことを探す。

・「否定の声」の目的を考える。

・「否定の声」によって生じている結果を考える。

・その声を発している自分を観察する。

・その声を聞いている自分を観察する。

・それを観察している自分を観察する。

・感情を味わい尽くす。

・喜怒哀楽を止めない。

・自分で自分を褒める。

・第三者的な呼称で自分を褒める。

・否定してきた自分に、ではどうすればいいか質問する。

・今日よかったことを思い出す。

・肯定的な言葉に変換する。

・優しい人々と関わり、そうでない人々と距離を置く。

・「急に思い立ったこと」ときちんと向き合う。

・親への期待を捨てる。

・ゆっくり呼吸する。

・身体を動かす。

・否定されたことについて徹底的に論理的に解析する。

・「健全な否定」として活かす道を見い出す。

・自分で選択する機会を意図的に増やす。

・自分の能力を活かせることをする。

・「直観的に嫌な人」と距離を取る。

・他人の気持ちを大切にする前に、自分の気持ちを大切にする。

・小さな目標を立てて、達成する回数を増やす。

・自分の気持ちとシンクロする曲を聴く。

・「自己否定する自分」に名前を付ける。

・「自己否定される自分」に名前を付ける。

・とりあえず「それでいい」と言ってから考える。

 

 「構造と目標」

聞かないようにすればするほどに、

それはあたかも現実の声のように聞こえ、

ちゃんと聞こうとすればするほどに、

それは霧散していく。

 

理由は、明白だ。

 

心の声は、あなたにそれを聞いて欲しいと思っているのだから。

聞こうとすれば、その声は聞いてもらったことに満足する。

 

ある種、恋人のヒステリーに向き合うのと似ている。

 

自分の精神状態を安定させながら、

相手に巻き込まれないようにしつつ、

聞くところは聞き、聞き流すところは聞き流す。

考えるところは考え、共感するところは共感する。

 

そうやって自分の意識と仲良くなることを目指すのだ。

 

自傷

例えば、

事前に自分で自分を否定しておくことで、

誰かからの否定を予防していたりすることもあるだろう。

 

目の前の壁を乗り越えることを避けるために、

そもそも、歩き出す足の骨を折っておくことを

選択していたりするかもしれない。

 

深い傷口の痛みから意識をそらすためだったり、予測される深刻な痛手を避けようとして、身体中に別の傷を増やし続けているようなものだ。

 

だから結果として、傷が癒えることはないし、それどころか、損傷は酷くなるばかりなのだ。

 

 

「君が想定している『完璧な人』などどこにもいない。」

大抵の場合、

間違っていてもいいから出してしまえばいいのだ。

感情も言動も。

間違っていたら、あとで直せばいい。

 

全てを慎重にやろうとすれば、

身動きは取れなくなる。

 

そもそも「否定してくる人間」も含め、

否定されうる点を見い出すことが困難な

スーパーマンなど存在しないということを認識し直すことだ。

 

それだけで、「あらゆる面で完璧な人間」が存在し得ないこの世の中で、「他者を否定しすることにうつつを抜かす人々」の哀れさに気が付ける。

 

彼らは、結局、君だけでなく、自分自身を含め、全ての人を否定しているのだ。

 

それを続けていくことで、自分自身は、さらなる泥沼に突入していく。

 

 

「実際の自分」

自己否定は「何か」から目をそらすために行われることが多い。

自己否定によって、本来の自分が持っている能力で

実行することができる言動を規制することができる。

 

本当はもっと早く走れるのに、

足に重りをつけて、ゆっくり走ろうとしている状態なのだ。

はたまた、足に鎖をつけて、

その場から離れられないようにしている状態と言ってもいい。

 

つまり「自己否定」とは

「今の自分」よりも優れた「本来の自分」の存在の証明に他ならない。

 

重りや鎖を外すことさえできれば、

君はさらなる高みに飛躍する力もっているのだ。

そして、それらを外す鍵は、自分自身が持っている。

 

「否定の声が聞こえているという事実」が、

実際のあなたは、今のあなた自身よりも、

もっと素晴らしいのだということを告げる福音なのだ。

 

大丈夫。それを信じて進もう。