海揺録

依存や自律というものと向き合う中で考えたことを書いています。もしも、同じようなテーマについて考えている方がいれば、僕もその一人なので、共に考えていけたらとても嬉しいです。精節録というブログ名でした。

なんのために

なんらかの依存症について想定してみたい。

誰しもひとつくらいの経験があるに違いない。

 

「もう辞めよう」という決意が、

節制の始まりにあることは確かだけれど、

それ自体の強弱にほとんど意味がないことは経験的に明白だろう。

 

どれほどに強い決意であっても、

決意は現在の自分に向けられるものであり、

未来を拘束することはない。

 

であれば、未来にも決意を繰り返せば良いと思うだろうか。

その決意の反復という決意もまた、

現在においてしか意味をなさないだろう。

 

では、決意に依存を克服するような力がないことは分かった。

これが第一段階目。

 

第二段階目に我々が行き着くのは、原因的な思考だろう。

 

なぜ、その行為に至るようになったのか。

その行為を誘発してしまう環境的な要因、

あるいは、過去の経験、はたまた、食生活、睡眠時間などなど。

 

結果には原因があると仮定して、

その仮定のもとに原因を探索する行為に至る。

 

原因を一つ一つ改善していく。

生活は確かによくなるだろう。

もしかすると人間性の向上もそこに見込めるかもしれない。

 

さて、そうしたことによって、

依存症自体が緩和されたようにみえたとしても、

根本的な空虚感であったり寂寥感自体がなくならないことがある。

 

さては、こうした依存を誘発するような根源的感情が、

節制の日数に比例して強化されてしまうこともありうるだろう。

 

ここまでが第二段階目だ。

 

そして、人によっては、第三段階目がやってくる。

 

「なんのために」自分はその行為を選択しているのだろうか。

行為に至る自分の目的を辿っていく作業に入るのだ。

 

行為という結果の原因を一つ一つ解決していくという視点を改め、

行為に至る目的について深く深く掘り進めていく。

 

最初こそ、何も思い浮かばない状態にあるかもしれないが、

次第に、あらゆる目的が浮かび上がってくるときもあるだろう。

 

大抵、自分が現実で逃避していることが関係していたりする。

だから、考えるためのヒントとして、

 

今「逃げていること」は何かあるだろうか。

今「恐怖していること」は何かあるだろうか。

今「考えることを避けていること」は何かあるだろうか。

 

そうした、今の自分に対する正直で厳しい視点を用意するといいかもしれない。

 

「やめたくてもやめられない」という自己欺瞞の裏に、

「やりたくてもやれていない」という自分の思いが隠れていることが多い。

 

多くの依存は屈折した欲望なのかもしれない。

 

では、そんな自己欺瞞に気が付いたとしよう。

 

例えば、

どうしてもタバコを辞められなかった中年男性が、

昔ミュージシャンになりかけていた頃の捨てきれない思いが、

今でも自分の心の奥底で燻っていたことに気が付いたとする。

 

依存の下に埋まっていた「目的」らしいひとつを掘り当てることができた。

 

おっと。ここで止まってはいけない。まだ掘り進めてみよう。

 

「なんのために」心の奥底に音楽に対する情熱を燻らせていたのだろうか。

 

沢山の楽曲をつくってはいたものの、

一度もステージで演奏したことのないことに思い至ったとしよう。

 

なるほど。夢を追ってはいたけれど、夢から逃げていたことに気がつく。

表現活動が、自己完結的であることは少ない。

音楽であれば、演者がいて、聴き手がいる。

 

誰かに聴いて欲しかったが、

おそらく評価の恐怖からそれを避けていたのだ。

「やりたくてもやれていない」

 

燻った夢の下に、素直な思いが埋まっていた。

 

ではなぜ、評価の恐怖に怯えていたのだろうか、、、。

自分を知る作業に終わりはなかなか来ないだろう。

 

 

閑話休題

地底探索の旅から戻ってこよう。

 

 

あなたが依存に苦しんでいるとして、

あなたの場合には、

 

どんな「なんのために」が埋まっているのだろうか。

どれほどの「なんのために」が重なっているだろうか。

 

おそらく本心では分かっていたことなのだ。

 

しかし「目的」が眩しければ眩しいほど、直視することを避けてしまう。

避けているうちに自己欺瞞を重ねてしまう。

 

その成れの果てに「依存」が生まれていることがある。

 

 

「やめたくてもやめられない」ことをやめるには

「やりたくてもやれていなかった」ことやろう。

 

その勇気が、きっとよい未来をつくる。