僕は、前に進むことも多いけれど、悩むことも多い。
そんな中で、確かな経験から確信していることがいくつかある。
でもきっと、これは理論の話ではないのだろう。
おそらく信念の話だ。
まず自分のために生きているか、それが一番最初に問いたいことだ。
自分の人生における自分にとっての幸福感は日々徐々に改善されているだろうか。
この問いに笑顔が出るならば、きっとその道は自分にとって正しいとしていいだろう。
次に、それが誰かのためになっているか、これが二番目の問いだ。
趣味と仕事の境界線をあえて引くとしたら、ここにあるだろう。
この問いに対して正直に頷けるならば、その行為は社会性を持っていると言える。
さて、一番目の問いと二番目の問いの両方をクリアできたならば、
どうしてその人は幸せでいられないことができようか。
きっと妬みはあるかもしれないが、
そんなものは、自らが夢中になって没頭していける行為の最中には、
なんの邪魔にもなりはしない。
邪魔ができない嫉妬心は、矛先を失った剣に等しい。
いたずらに刃物を振っていれば、
自らを切り裂いていくだけなのだから、
きっと彼らは次第に黙って剣をしまうだろう。
僕の信念としては、
自分のためにやっていることが誰かのためになるというのが、
理想的な生き方であると確信している。
この生き方においては、誰が不幸になるだろうか。
世の中の幸せは改善の方向にしか進みようがない。
好きなことを仕事にしよう。
なぜなら、それはまず自分のためであり、
その上で人のためになるから。
まず自分すら幸せにできないような人間が、
どうして他人を幸せにしようなどと思い上がることが許されるだろうか。
何も諦める必要などないのだ。
見えない恐怖心があって動けないならば、
大抵風邪をひいているか、睡眠不足が原因だから、生活を見直そう。
価値観は多様だということは百も承知だが、
その上で僕は、自分のこの信念を公言して、
人々にこの思いを共有して欲しいと願っている。
なぜなら、「みんなが幸せになれる」という
理想状態が実現することを想定するとすれば、
この信念を抜きにしてはどうしてもそれを語ることはできないからだ。
最後に奇妙な例え話をして、今回の記事をおわりにしようと思う。
君が、坂道を転がることを決めたならば、
君は、どんどん角が削れて丸くなっていく。
丸くなるほどに、進む速度は速くなっていく。
選ぶ坂道は一番急なものがいい。
ただし、坂道を登ろうとするならば、
君の進みは遅く、日々は苦しいものになるだろう。
君の角が、時に人を傷つけてしまうこともあるだろう。
坂道は下るものなのだろう。
なぜなら、その方が速く、
そして遠くに行けるから。
なぜなら、その方が君は丸くなるから。
たとえ、君の周りの人々が坂道を登ろうとしていたとしても、
君にはそれを圧倒的なスピードで下っていって欲しい。
そのスピードは、確かに最初は怖いかもしれないが、
次第に慣れていく。そうするとまだまだ速くなる。
自分でも自分を止めることなどできなくなる。
君は、ふと誰かにぶつかってみたくなるだろう。
まるでビリヤードの玉のように、
君の運動は誰かに伝わっていく。
僕には、こうした一連の流れは、
とても自然なもののように思えるのだ。
おわり。