精節録 —オナ禁で得た知見—

依存や自律というものと向き合う中で考えたことを書いています。もしも、同じようなテーマについて考えている方がいれば、僕もその一人なので、共に考えていけたらとても嬉しいです。

自由なればこそ孤独。

虚構的な人生を振り切って、自由への道を一歩一歩と進んでいく覚悟を決めたとする。その道のりは大抵長く、そして何よりも孤独だ。

そこにある孤独というのは、精神的な孤独であり、誰にも理解されない旅が永遠と続くことを意味している。

もしも自由を幻想として、それを諦めて生きていくならば、そこには多くの仲間のような存在がいて、きっと共同体的な安心感を生む。その生活がどんなに矛盾したものであっても、その安心感はおそらく他にはない。

自由に踏み出していくことを決めた人間は、周囲から理解されないだろう。何故ならば、多くの人はそれを幻想としているのだから。彼らにはきっとそんな人間は、幽霊を探しに出かけた狂人にすら見えるのかもしれない。仮にどんなに親しい人間であっても、幽霊ハンターを真面目に応援するような人は少ないだろう。

それでも、君にはその「幽霊」が現実のものなのだと見えている。長い長い旅路の間、君はずっと幽霊ハンターとして周りから認識されているだろう。

理解されないだけならまだしも、見下されるのはプライドが許さないかもしれない。しかし、忍耐もこの旅の醍醐味なのだ。黙って進むしかない。幽霊の存在を証明するには、言葉では不可能だ。証明したいならば、君の旅の全てとそこにかけた命をもって示す以外に方法はない。そして、君の生きている間ではその願いはもしかすると叶わず、次世代へとその思いを繋いでいくことになるかもしれない。

「自由」に価値を感じ、それを実現したいと願うならば、孤独の辛さというものがその代償であるということをきちんと受け入れて、誰に理解してもらおうともせず、ただただ黙々と愚直に進んでいくのみだ。

確かに道中険しいが、生きる意味をそこに創り出したなら、歩む一歩一歩に確かな喜びが内在していることを感じるのだ。

 

もしかすると、どこかに同じ思いを抱えている方々がいるかもしれないと思って、こんな記事を書いていた。おわり。

 

 

 

 

 

 

 

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