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精節録 —オナ禁で得た知見—

依存や自律というものと向き合う中で考えたことを書いています。もしも、同じようなテーマについて考えている方がいれば、僕もその一人なので、共に考えていけたらとても嬉しいです。

広大な情報の海と、それぞれの質の話。

情報の質は、その情報の発信者たちの気質も含めた情報の性格といった部分に大きな影響をうけやすい。

料理の話について、政治の話を語るような仕方で記述されていることはほとんど見たことがない。動植物の情報が、難民の情報と同じような雰囲気で綴られることも少ない。
また、発信主体と受信主体の関係性によっても情報の質は変化する。相互が親しい関係にあれば、より情報の鮮度は高まる傾向にある。利害関係にも左右されやすい。不特定多数を相手にした発信は、プライベートな情報共有の仕方と完全に一緒ではない。
お金にまつわる情報は、顕著に発信主体の傾向を表しやすい。プログラミングについての情報は、精度や丁寧さの差はあれども、情報としての客観性を保ちやすい。客観性が高ければ応用可能性も高くなりやすい。一方、主観性が高ければ、共感や連帯感といった心理的なエネルギーを生み出しやすいのかもしれない。
たくさんの情報に触れていく中で、経験から、自然とその質に合わせたやり方でそれらを享受しているような気もするのだけれど、今一度一歩引いた視点から、情報を扱えるようになりたい。
今や、広告が謳う宣伝文句を真に受けて感心するほど、お人好しではなくなってしまったが、巷に溢れる広告っぽくない広告を見て、その意図をすぐさま見破れるほどの知性はない。
偏向した情報を真に受けて自分の心身を悩ますほど無駄な時間もないように思う。だから、偏向しやすい情報は、それが偏向しやすい性質を持っているのだという前提を忘れることなく扱いたい。

 

 

 

 

 

 

問い合わせ・他の記事はこちらへ(『自律録 —依存と向き合う同志たちへ—』)


様々な性質の情報がある以上、それぞれに応じた扱い方をひとつひとつ客観的に検証しては経験に変えて、試行錯誤することの必要性を感じている。
この広大な情報の海から逃げることなく、自分なりの泳ぎ方を身に付けていきたい。