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精節録 —オナ禁で得た知見—

依存や自律というものと向き合う中で考えたことを書いています。もしも、同じようなテーマについて考えている方がいれば、僕もその一人なので、共に考えていけたらとても嬉しいです。

欺瞞的な多様性

基本的に優れていると感じるものに対しては、それが「多様なものだ」という言い方をせずに、自らもそれに近づこうとして、自分の目指す先にそれらを置くということをする。
一方、優れていないと感じるものに対しては、それも一つのあり方なのかもしれないとして、多様性の一部というように言い換えを行う。

それを目指したいとは思わないが「自分にはいらない」ということを口には出さず、多様性の一部としてくくることで、人間関係において波風を立てないようにと、この言葉を用いているのかもしれない。

本来、多様であると認めているならば、そこには尊重があるはずだ。しかし、欺瞞的な多様性には尊重などない。そこにあるのは、自己論駁的な相対主義とか、自己保身に努めようとする肥大した自尊心だ。だから、そんな言葉の用い方を続けているうちに、誰かの足をひっぱるようになっていく。自分が頑張ることを放棄したままで、誰かを貶めたりして自らの自尊心を守ろうとするようになっていく。そんな自尊心には価値などないのになぜ守ろうとするのだろうか。
なるほど。「何も持っていない奴ほど、守ることに必死になる」という言葉を聞いたことがあるが、つまりそういうことなのだろう。

 

 

 

 

 

 

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