精節録 —オナ禁で得た知見—

依存や自律というものと向き合う中で考えたことを書いています。もしも、同じようなテーマについて考えている方がいれば、僕もその一人なので、共に考えていけたらとても嬉しいです。

寝ている恩恵

惰眠への罪悪感をいつのまにか持っていることに気がつくが、それが自らの可能性のいくつかを奪っているのではないかということを考えるようになった。

なんらかの作業中に、解決策の浮かばない課題を見つけて頭を悩ませることがあったとして、その解決は、寝る間際に目をつぶっているときや、起床する前の頭だけ覚めて目をつぶったままのときとかに、ふらふらと解決案が浮かんでくることで前に進むことが多い。

瞑想状態といえば聞こえはいいかもしれないが、実際のところそうした状態の自分を客観視すれば、惰眠というワードがぴったりであることがわかる。浮かんでくる「答え」のいくつかを寝ぼけた頭で整理しながら、根拠のない罪悪感で少しだけ追い立てられる。

周知のことかもしれないが、新しいアイデアや、未解決の課題は、一種の退屈さから生まれる場合が多いのかもしれない。何もしていることがない状態が続くと、脳の働きが活発になるのだろうか。おそらく、白紙に一文字を描くと、その文字に意識が集中するように、何もしていることがない状態では、一旦何も思考しない状態に「クリアー」されることで、意識を集中させるべき対象が明確になるから、その初期段階に近いほど思考がスムーズに行われるのだろうという仮説を持っている。

「いつまで寝てるんだ」という内省的な声が聞こえても、これからは無視するようにしたい。そして、その声を無視することに慣れるようにしていきたい。なぜなら、そうした目だけをつぶっているような状態こそが、自らの願いを前に進めていく重要な鍵の役割を果たしていることが経験からも明確に分かっているからだ。

無論、常識的ではない。しかしシンプルに考えれば、目を開けていて悩むよりも、目をつぶることで前に進むなら、僕は後者を選ぶ。それだけの話だ。

 

 

 

 

 

 

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