やりたいことのために生きて、
やりたいことのために死にたい。
それを遂げるためならば、
どんな苦しみでも耐え忍ぼうと思える。
もしも、やりたいと思わないことのために生きるなら、
僅かな苦しみでさえ、どうしてあえて耐え忍ぼうとする力が湧いてくるだろうか。
意味のない苦しみを味わうほど、惨めな生き方はないように思う。
しかし、苦しみに意味があるのならば、
立ち塞がっている壁が、いかなる艱難辛苦であろうとも、
それを乗り越える力は、自分の内側から湧いて出てくるものだ。
だから、やりたいことを続けていく途中、
どんな過酷な壁が待っていようとも、
僕は意味のある生き方をしたい。
つまり、自分に正直でありたい。
ただ、それだけのことが、以外と難しい。
日々の少しずつの成長が、それを可能にしていく。
自らの意欲や不安とか、批判の声を受け容れる器が
大きくなればなるほどに成長は加速する。
それさえ分かっていれば、
焦ることなく器の焼き上がりを待つことができる気がする。
創造力は、正直な心の中に湧いてくる。
だから、自分の自然な状態を、変な風にねじ曲げて
心をゆがめてしまわないようにしたい。
創造力が、生きる意味をつくり、
苦しみに意味を与える。
日々の行動力は、
そうして出来上がっていく意味が
感情を揺さぶるほどに強くなっていく。
「もっともっと」と求めるべきは、
贅沢や栄華や単純な快楽ではなくて、
生きる意味の深さや強さなのではないかと、
僕は本心から思っている。
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