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精節録 —オナ禁で得た知見—

依存や自律というものと向き合う中で考えたことを書いています。もしも、同じようなテーマについて考えている方がいれば、僕もその一人なので、共に考えていけたらとても嬉しいです。

オナニー肯定論

適切でないオナニーにおいては、確かに害悪が多いということは周知の事実であるように思う。

さらに言うと、僕が述べようと思っている考え方は、おそらく多くの点で間違っているものと思う。

しかし、ある一点においては、多様な生き方や善が共存する現代で、皆が共通に認識しておくとよいであろう問題について、オナ禁という個人的視点のみでは考えることが難しいところを、多少なりとも考察できているのではないかと思って、あえてこのタイトルで文章を書いてみることにする。

オナニーは、自分自身の問題として扱うには、目に付く害悪の部分が非常に多い。例えば、過激なポルノがパートナーとの性生活に支障をきたす可能性については、それがゼロとは言い切れない以上、もしも最悪の場合を想定するのであれば、パートナーのことを考えて避けるべき事柄であるように思う。しかし、こうした問題は、経験を積み、パートナーとのコミュニュケーションが適切に為されていくならば、乗り越えていける話でもある。

思い出すと、今でも可笑しいのだが、僕は、当時処女だった彼女とセックスをしたとき、彼女が気持ちよさで喘いでいるのか、痛くて喘いでいるのか分からなかった。もちろん後日談で、痛くて喘いでいたことが分かって、酷く反省した。それまでにAVは何百本、サンプルを含めれば何千本と見ていたから、そのくらいは当然分かるものと思っていた。けれど、自分が実際には、喘ぎ声と悲鳴の区別すらできないような男であることを思い知って、セックスは「見ている」のと「実際にする」のとは大違いであることを、彼女の苦痛と悲劇を代償に学ぶことになった。

ただ、馬鹿みたいな体位を試してみたりしたときに、相手が「それはいや」とか「いたい」とか「やだ」とか言ってくれたお陰で(相手の微妙な反応からは分からないことが多いということが分かったので言ってくれるように頼んだ)、徐々に「何が良いのか」という基本的な部分が改善されていくと、性生活においてAVも役に立つようになることがあるという可能性を知るようになった。

エロに触れていく中で、古今東西におけるアイデアのすごさ、ジャンルの広さ、その底のなさが、他の分野の事柄にまったく引けを取らないものがあることに気がつくし、更新のスピードも速い。それらを鑑賞するとき、僕ら男は、基本的に情を差し挟む余地なく、好みでないものを切り捨てていく。顔がタイプでなければ、30秒もたたないうちに別を探す。

そうしているうちに、自分が興奮するジャンルを見つけ出していくことになる。数年も立てば、自分がスク水に興奮するのかしないのか、二次元を受け入れるのか受け入れないのか、むしろ二次元しか受け入れないのか、胸の大きさの好みはどれか、ギャルは好きか嫌いか、など、無意識にも選別作業の中で自分を見つけていくことになる。

その興味の幅が、きっと後々のセックスのまんねり、ひいては、関係性全般のまんねりの打開策になったりもする。

いや、きっとそれは他の分野にも共通することだから、もしもパートナーと自分が似たような趣味をもっているならば、そこの幅や深みを増していくことで、いい結果がもたらされるに違いない。けれど、男なら理解してくれる人が多いが、女性のショッピングに6時間も付き合うようなことがあるとすれば、それは楽しみではなく、ほとんどが忍耐になる。きっと女の子も、男たちが血眼になって好みのAVを探索することに時間を費やすことに、ほとんど共感できないはずだし、嫌悪感を抱くこともあるだろう。

つまり、本当に理解し合える個人的感心を共有できるならば、それは非常に有難いことだが、希少性は高いように思う。その希少なものである、共有しうる個人的感心の中にセックスが含まれているならば、もしも2人で探求しないとすれば、それは非常にもったいないことであるように思うのだ。

例えば、ここにコスプレ好きの男がいて、彼女がコスプレをするのが好きだった場合、お互いに恥ずかしがって、打診し合わないとしたら、もっと2人で楽しめた可能性を、どれだけの夜あるいは朝に、見過ごしていることになるだろうか。

さらにいえば、男の側がもしも、自分がコスプレプレイが極度に好きであるということを知らないままでいたとすれば、それは自分自身の探求を怠ったことによる損失にすら見える。けれど、この辺りからは、個人的な自由の問題に関わっているのであまり他人が首を突っ込むものでもない。押し付けがましい意見は止めておく。

色々、話が脱線してしまって、本題に入る前に長文になってしまったので、序文だけれども、一旦この辺で区切ることにしたい。

続きを書く気になれば、また次回にでも書いていきたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

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