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精節録 —オナ禁で得た知見—

依存や自律というものと向き合う中で考えたことを書いています。もしも、同じようなテーマについて考えている方がいれば、僕もその一人なので、共に考えていけたらとても嬉しいです。

ひとりで悩んでいることは、誰かと共有すると笑い話になるときもある。

数年前に、当時好きだった女の子から、デートの約束を前日にドタキャンされて、ひどく落ち込んでいた覚えがある。

その子には彼氏がいたのだけど、その日はどうやら彼氏と遊ぶことを優先したらしく、妙に、何とも言えない悔しさを感じていた。

客観的に考えれば、ちょっと落ち込むくらいの話であるように思うんだけど、当時は、ほとんど発狂に近い心情だった気がする。思い出すと、何となく恥ずかしくなる。

友人とそのことについて話していると、視点をちょっと変えれば、自分が「その子を略奪しようとしてる悪役」のような立場であったことに改めて気がつかされて、変な悔しさの矛先を向ける対象を失い、ただのかっこ悪さだけが残った。

今となっては、ほんとに笑える話で、あの時いらだっていた幼さが、懐かしく思える。

こんな感じに、些細な話で深刻に悩んでいることというのは、自分ひとりではなかなか気がつきにくいけれど、誰かの視点をかりてみたり、時間を置いて眺めてみたりすれば、全然たいしたことではなくて、むしろ可笑しい話であったりすると思う。

喜びや楽しさといった明るい感情を誰かと共有することで、人生が豊かになることは自明だけれど、それだけじゃなくて、悩みや落ち込み、哀しみ、悔しさ、いらだちも、信頼できる誰かと共有できるなら、きっとその見方によってはプラスの感情になることがあるのではないだろうか。というか、その可能性があるのだから、やらない手はないし、やるしかない。

 

追記。

もし、ひとりで抱えていることがあって、誰にも話ができないでいるなら、気軽に僕へメールを送ってみてください。(ryozann.m@gmail.com)

きっと僕自身の力は、あなたの悩みに対して、ほとんど無力に等しいけれど、「共有するという行為」が、それだけで、きっとあなたを助けてくれると思います。

 

 

 

 

 

 

 

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