読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

精節録 —オナ禁で得た知見—

依存や自律というものと向き合う中で考えたことを書いています。もしも、同じようなテーマについて考えている方がいれば、僕もその一人なので、共に考えていけたらとても嬉しいです。

自律力

生きる意味や価値は、自らで創ることができるのだと気がつけば、その次は、生きる力を手に入れることに意味を見出せるようになるのかもしれない。生きる力と一言にいっても、人間関係、お金、権力、資格、能力、才能、知性、優しさ、愛情と様々にある。
価値を実現するには、その価値の実現を妨げようとする要因に打ち克っていかなければならない。要因は、物理的な障害のみならず、心理的な障害こそ、その大きな割合を占めているように思う。
素晴らしい価値を想像しようとも、それを実現していく力がないとすれば、絵に描いた餅に過ぎない。たとえば、豚が空を飛ぼうと考えたとしても、彼の毎日が与えられた餌を貪り続けるだけでは、彼の夢は夢のままで終わる。もしも、断固とした決意と行動力によって、その餌場から抜け出し、空を目指そうとするならば、飛行機の貨物に紛れ込んでその願いを叶える可能性はあるだろう。
そう考えてみると、創造力の次に重要となるのは、リスクを背負う覚悟のような気がする。それは、自律力と言い換えることができるように思う。
自分が信じる価値において、自分で考えたことを実現する際に、すべての責任を自らに負わせて生きる覚悟を意味する。
自らの人生の中に、他者や周囲の環境といった、自分以外の責任を見出して言い訳をひねり出す様な無様な真似は控えたい。
しかし、とはいっても理不尽なことは少なくない。明らかな外的な悪に対して憤りを感じる場合もある。ただ、そんな時でも、「改善せよ」という意識の矛先は常に自分に向けていなければ、現状を変えていく力を自らの手から手放してしまうことになる。
他者を責めず、自責を徹底する意味は、必ずしも自らが悪いからではなく、「改善の実現」を他人任せにすることなく、自らを起点として自らの手で行い続けるのだという意志を絶やさないためにある。
すると、外的な比較や競争は無意味さを増し、自分が創造する価値の実現に近づいたかどうかに、日々がフォーカスされていく。本質とは無縁の欲望の数々は薄れ、それによって集中力は研ぎ澄まされずにはいられなくなる。
「薄紙を一枚一枚重ねる様な日々」であっても、その一枚一枚は、それ自体が一つの達成と完成であり、故に日々に喜びがもたらされる。
薄紙一枚は、確かに薄いが侮るなかれ。毎日、前日までに積み重なった枚数の二倍の枚数を重ねていくならば、計算上、約40日後には月まで届く高さになる。月までの距離は、約38万kmという。1kmは1000m、1mは100cm、1cmは10mmなので、380000000000mm(3800億mm)である。薄紙を0.1mmとして、2倍にする計算を繰り返すと、10回目で500mmを超え、20回目で500000mmを越え、30回目で5億mmを越え、40回目で6000億mmほどに到達する。(計算が間違っていたら申し訳ない。)
直感的に不可能に捉えてしまうことであっても、日々という積み重ねは、事実としてその直感を覆していくことがあるのかもしれない。奇跡と呼ばれる様なことも、直感と事実の差が生み出した錯覚である場合も少なくない。
自らによって計算し、精査された可能性を信じて進んでいきたい。そうであってこそ、リスクを受け入れることもできるし、日々の一枚一枚を本当に喜べるからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

問い合わせ・他の記事はこちらへ(『自律録 —依存と向き合う同志たちへ—』)