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精節録 —オナ禁で得た知見—

依存や自律というものと向き合う中で考えたことを書いています。もしも、同じようなテーマについて考えている方がいれば、僕もその一人なので、共に考えていけたらとても嬉しいです。

ちっぽけな生き物。

自分にとっての自分の存在は、いつだって実物以上に大きく感じてしまう。しかし、ふとした瞬間に、その小ささを実感しては、「ああ、こんなにもちっぽけな生き物。」と、いろんな認識が変わる。

悩んでいるようなことも、それと一緒にちっぽけなものなのだと実感することができる。それは、今かかえている悩みや苦労について、たいしたことなんてないのだと思い込もうとしたり、論理的にそれを片付けてみたり、実質的にはほとんど役に立たないようなこととは根本的に違っている。

成長欲求や向上心は、「上に上に」「大きく、もっと大きく」と、絶え間なく自分に働きかけているが、実際はこんなにも小さい。そうありたいという願いが、実物以上に自分の認識を錯覚させているのかもしれない。そうやって、自分がちっぽけな悪人だということから、目をそらしながら生きているような、そんな感じがする。

「大きなことを成したい」という自然な願いは、たいてい頭の中から出ることはない。たとえ、ちっぽけだとしても、この等身大の自分をめいいっぱいつかって、着実に叶えられる願いを、ひとつひとつ成し遂げていきたい。そして、その小さな誇りを、誰に誇るわけでもなく自分の中で大切に積み重ねていきたい。

たとえば、小さな部屋にいて、部屋から出れば広い世界があると想像してみる。そのとき、部屋というこの空間は、なんだかちっぽけに感じて、そこにいる自分が、とても情けなく感じるが、それは無茶苦茶な話だ。この小さな部屋をめいいっぱいつかえば、どれだけの可能性があるのか、見失っている。

情けなくとも、弱くとも、無能でも、それが現実だ。しかし、だからといって絶望することはない。どんなちっぽけな存在にも、希望はある。希望を叶えるチャンスは、常に与えられている。

どん底にいようとも、どん底にいるという事実を無視しないようにしたい。そこでまず、自分を活かすことを考えたい。

自分の小ささをどんなに強く感じても、だからこそ、毎日希望を持ちたい。そして、そのために、日々の改善を試みていきたい。

 

 

 

 

 

 

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