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精節録 —オナ禁で得た知見—

依存や自律というものと向き合う中で考えたことを書いています。もしも、同じようなテーマについて考えている方がいれば、僕もその一人なので、共に考えていけたらとても嬉しいです。

自らとの向き合い方

さて、慌ただしさや焦りのうちから、ふと抜け出してみる時があって、自らと向き合うことを試みる。

従来の奇妙な方法として、「理想」という名の下で、達したい自己像を掲げて、そのいくつかの目標までの距離を計測して、距離が長いようなら、ひとまず区切りのいいところまで細分化してみて、そこまでの努力なり作業の量を考えてから、ご丁寧に計画をねって、「よし、明日から始めよう!」そんな感じのことが度々あった。

それが自分だけであるならまだしも、むしろこうした方法を善意的に奨励してくる人々は数えきれないほど周囲に居ることが分かった。

 

なぜだろうか。自らと向き合っていたはずが、その欲望を確かめているうちはよかったものの、そこから次第に離れて変なものをつくりだした。もはや、「理想」とは自分ではなくて「自分が目標とする他者」になった。

 

比較する意味を考えたい。彼との一致点を見つけては喜び、相違点を見つけては哀しみ、焦り、戸惑う。すると、今の自分も「現実」から離れていき、「理想化された他者を目指す自分」になった。彼との違いを掲げたリストは、自分の人生に生き甲斐をあたえたかのように最初のうちは思えていたが、気がつけば、再び自分を急かし、焦らせている。すると、「今、全然楽しくない。」そんな風になる。

 

「理想」を掲げてみた理由とは何だったのか。「理想」に近づく過程や達成したときに得たかった感情とはどんなイメージであっただろうか。少なくとも、退屈やつまらなさとは対極にあったことは間違いないのだ。なぜ、矛盾した現象が生じているのだろうか。

 

当然だ。今の自分から離れていては、今の自分は退屈になるに決まっているのだ。

簡単な例をあげるなら、例えば統計のデータなどがある。10年前にはぴったりと未来を予測してみせた統計値があるとしよう。また、その統計値を皆が信じているからという理由で誰も計算をし直すような人はいないとしよう。あの素晴らしい精度を誇っていた統計値は、5年後には的中率が半分以下となり、10年経った今では、役に立たなくなり、誰からも忘れ去られてしまった。

客観的に見れば、なぜ誰も計算し直さないのか疑問に思うのだ。現在のデータに照らして、最初の考案者が用いた式を使えば、現在の統計値が算出される。そうすれば、また精度を取り戻す。簡単なことだ。

 

さて、最初に述べた、「理想」を掲げるという「理想化実験」はどうだろうか。当初、一度立ち止まって、「理想」を掲げるために自分と向き合っていた自分が、はたしてそれからしばらくした今の自分とまったく同じだと言う人がどこにいるだろうか。けれど、今の自分の欲望と向き合うことを忘れて、昔の自分の欲望に執着している人がどれだけいるだろうか。

僕は、たびたびその状態に陥りそうになる。しかし、そんな時は感情が警告音を発してくれて、今やっていることが今の自分にとって不要になったという合図をくれる。それを無視したり、抑圧しない限り、再び自分と向き合うことができる。

ただ、執着が激しいときは、その感情を無視したり、抑圧したりするが、そうするほどに警告音は大きくなっていく。結局、楽しさや喜びのために歩きはじめた道のりは、ただ苦しくて嫌なものになっていくのだ。それでも執着するなら、その先は多くの人が経験するところかもしれない。あるいは、深刻になれば「病気」が待っているのだ。

日々、自分は変化していく。時間が経つならば、季節は変わる。成長するなら、考え方も欲望も、それに応じて変わるのだ。

大切に描き上げた地図の、その目的地に到達していなかったとしても、今は目的地に用が無くなったのであれば、小さく折り畳んで、ポッケにしまっておきたい。

またいつか、その目的地を思い出したときに、ポッケから取り出して、歩み始めればいいのだから。きっとそのときは、大きく世界は変わっていて、当時の道は使えなくなっているかもしれない。そしたらまた、地図を描き直すのだ。

常に最新の自分をもって、最新の欲望を確かめて、歩みを進めよう。欲望という言葉にあまりいい印象を持たないのであれば、「よいもの」と言い換えてしまったら分かりやすいかもしれない。「よいもの」の定義は、自分で行うのだ。そのときにヒントになるのが、直観であったり欲望であったりと、そういうことなのだ。

今手にしている一枚の地図にこだわることなく、昨日までの自分が描き残してくれた、ポッケにしまった地図を上手く使っていきたい。最終的には、そんなものに頼らずに、地図を描く暇を惜しむほど、今に楽しみを見出していきたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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