精節録 —オナ禁で得た知見—

依存や自律というものと向き合う中で考えたことを書いています。もしも、同じようなテーマについて考えている方がいれば、僕もその一人なので、共に考えていけたらとても嬉しいです。

不当な批判の悲惨

自らに尺度を持たない者が、不完全であって当たり前の他者を不当に批判することによって、無意識に自らの判断の基準を確立しようとするが、そのことで、他者を不当に傷つけたりすることは、紛れもなく暴力の一種である。

そして、なによりも、他者批判によって構築された基準というものは、果てしもなく理想的であり、故にその当人は、自らの基準との自己乖離に苦しめられることになる。

批判、否定、そうしたことを肯定する意見もある。改善への目印というメリットがそこにあることは分かる。しかし、そのメリットのために多くが不当に苦しむことになることを想像するならば、どうしても全肯定することはできない。

改善を他者に望む前に、自分自身を起点として自らを改善することを考えるならば、もっと平和な改善が望めるのだ。

他者に世界を善くしてもらおうなどと、受身な姿勢でいるうちは、皆が傷ついていく。自分が自分に改善を望む主体的な姿勢であることで、世界は善くなる。自分は世界の一部であり、自分の世界が、世界なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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