「幸せと思えることが幸せ。」
誰かが言っていた言葉。
孤独な感覚は、寂しいものだ。人恋しくなる。
一方で、寂しさを感じた分だけ分かることもある。
ふと聴いたメロディーに自分の感情は交差する。
そこには、孤独な交わりがある。
そんなとき寂しさが喜びだす。不思議な感覚。
一振りの塩が、料理全体をよくもわるくもするように、
独りの時間の過ごし方ひとつで、人生全体の意味や深さは大きく変わる。
どうやら近くに居る人との比べっこからは逃れられない以上、
そこから離れているときにしか、自分を見つめ直す時間はとりづらいものだ。
まるで夢見るように人と交わり、
目が覚めているかのように独りを慎みたい。
環境は変わるが、自らは変わったか。
自らに合わせるように環境をつくっているか。
それを楽しんでいるだろうか。
自分のためが人のためになるようなことはないか。
よけいな気負いを交換してはいないか。
最近興味を持ったことはなんだったか。
この感情に名前をつけるとしたら?
自問自答の中に、欲望の基底となるエネルギーの塊の片鱗を探すことができる。
自らの面白い部分に気がつけるかどうか、大切なことだ。
つまらない、があるから、面白いもある。
つまらない部分があるなら、必ず面白い部分がある。
面白いだけではなく、その裏にはつまらなさがある。
幸せと思えることが幸せなように、
幸せと思えないときも、その思いを愛おしみたい。
裏があるからこそ、表があるのだから。
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