精節録 —オナ禁で得た知見—

依存や自律というものと向き合う中で考えたことを書いています。もしも、同じようなテーマについて考えている方がいれば、僕もその一人なので、共に考えていけたらとても嬉しいです。

生活のリズム感

一夜漬けなどであれば、徹夜の必要は分かる。一生に何度もないお祝い事が朝まで続くことも、また生きている楽しみの一つに違いない。

ただし、普段の生活、仕事においては、どうもリズム感がないと、どこかで無理が出たりすることがある。

無理が出ると、そのバランスを埋めるためには、無理によって手にした恩恵以上の代償が生じることが多い。さらに言えば、無理してもしなくても、実際はほとんど変わらないか、無理しないほうがよかった場合などはざらにある。

代償はいつも大きい。そのストレスを埋め合わせるために、本来はいらない快楽に身を堕すことなどもあるだろう。すると、代償はさらに高くつく。その支払いのために、また無理をするようなことがあれば、間違いなく悪循環に陥ったと判断できよう。

 

ならば、生活のリズム感とはどこに宿るのだろうか。

十分な睡眠、適切な食事、意欲的な労働、適度な休息、不要の省事、清掃や整理整頓、貪欲な勤勉、謙虚な社交。

たいてい、自らが望ましいと思っていることは、やるか、やらないか、やれないか、いずれかだろう。やれないならば、やれるように努めるか、諦めるか、決断すればいい。

放って置いた食べ物が腐るように、意志も、宙に浮いたままであれば腐ってしまう。いつか、その腐臭は、自らに襲いかかり、自らを焦らせるのだ。

 

仕事は、終わりがないから仕事なのだ。今日片付く仕事もあるが、それは「今日の仕事」と言う名前だ。日々、皆、腹が減るのだから、日々、少なくともそのために働く必要がある。つまり、腹が減る限り、仕事は続く。今日で全ての用意をするには、バランスが悪すぎるのだ。だから、勤勉でありたい。

 

リズムがあれば、困難も乗り越えやすい。スキップは歩くよりも大きく体を動かすから、よく前に進む、ただ歩くよりも楽しいものだ。

 

話は飛躍するが、映画の台詞を思い出す。

 

「音楽は決して人から奪えない。」

 

 

 

 

 

 
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