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精節録 —オナ禁で得た知見—

依存や自律というものと向き合う中で考えたことを書いています。もしも、同じようなテーマについて考えている方がいれば、僕もその一人なので、共に考えていけたらとても嬉しいです。

心地よさは限りなく存在する

「何事においても、連続は、嫌気を起こさせる。」

 

自慰が手頃で、かつ、ときに楽しく、多幸感を覚えるからといって、それひとつだけに(あるいはそれに類似した性事だけに)、自らの快感の根を伸ばすことは虚しい。

おそらく、もっと手頃で、快楽量の多い事柄など、探し試していれば見つかるに違いない。それは個々人における適性の問題がほとんどだから。

禁欲は確かに望ましいことのひとつだ。ただし、それもまた快楽の本質である喜びを共通の基底として有している。

禁欲主義は、快楽主義の対となるものではなく、本質的な部分では仲間である。どちらも、それぞれのアプローチによって、生に喜びを見出そうとしているから。

生に喜びなどないのだと、絶望する者たちもいよう。しかし、彼らもまた、生に落ち着きをもとめているのだ。でなければ、明日にでも死んでいるに違いない。

立場やアプローチは違えども、求めようとしているものの本質は、ほとんど同じなのだ。

ならば、立場やアプローチに縛られることなく、自由に、その本質を希求しよう。そのほうが、自分の適性を探求するには理にかなっている。

だから逆に、ひとつの立場や主義において、生きづらさ感じる場合は、その他に枠組みだけ移行しようとも、本質は変わらないために、生きづらさを引きずることになる。結果、生に絶望していくかもしれない。

 

求めるべきを求め、不要な要素は棄却できるようにありたい。

 

 

 

 

 

 

 
 
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