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精節録 —オナ禁で得た知見—

依存や自律というものと向き合う中で考えたことを書いています。もしも、同じようなテーマについて考えている方がいれば、僕もその一人なので、共に考えていけたらとても嬉しいです。

余裕があるから無駄が増える。

生活に余裕があるからこそ、無駄が増えていく。

仮に、その日生きるのさえ過酷な毎日であれば、どこに自慰などを行う余裕があるだろうか。いや、極限まで追い込まれたなら、もしかすると逆に自慰以外の選択肢等なくなるかもしれない。

自らを追い込むバランスは、無駄ができないくらいがちょうどいいのかもしれない。

だがしかし、意図的に自らを追い込むことができるなら、皆そうしているという話でもある。いかにして自らを駆り立てていくか。それが問題だ。

危機感は嫌いだ。焦りは、きつい表情と性格をつくりやすい。強制も嫌いだ。不自由に慣れ親しむと、最も大切であるはずの自発的な行動力が減少してしまう。共に取り組む仲間をつくる。これは、かなりいい線をいっているように思う。しかし、それでも、期待している効果は上がらない。どうも、外的な助けに依存しているようだと、それではどこまでいっても、解決にならないようだ。

ならば、環境を創る。これは最適と言えよう。時間はかかる上に、自分の変化に応じて、その都度創り変えていく柔軟性が求められる。

何かを克服しようとするとき、内的な自律心、自制心の欠如が問題ではないかと、いつも錯覚してしまうが、その心意気の程度は、実際のところたいした意味を持たない。なぜなら、今日の自分と明日の自分は、連続はしているもののやはり別物であり、心意を同じ状態で継続的に引き継いでいくことは困難を極めるからだ。

しかし、自らで自らが求めうる環境を創っていく営みは、その連続性を味方につけることができるのだ。昨日の自分が今日の自分に渡してくれた環境への感謝を、明日の自分への愛に振り替えていく、なんとも心地のいい連続性を過ごすことができるだろう。

 

基本は、整理整頓、掃除。

次点で、不要なものを捨てること。

最後に、今あるものの改善。

そして、万が一として、どうしても不足しているものを追加すること。

 

これを続けていれば、環境は整うだろう。

棄却によって、自然と最適な形に創り変わっていくはずだ。

一事を増やす前に、一事を減らすことを考えよう。

「省事」こそ、最も簡単にして最も難しい処世術であろう。

「余るは足らぬ。足らぬは余る。」肝に銘じたい。

 

 

 

 

 

 
 
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