精節録 —オナ禁で得た知見—

依存や自律というものと向き合う中で考えたことを書いています。もしも、同じようなテーマについて考えている方がいれば、僕もその一人なので、共に考えていけたらとても嬉しいです。

エロとの付き合い方(5)

同じように酒を嗜んでいても、

酒に溺れる人もいれば、溺れない人もいる。

同じようにタバコを吸っていても、

それを適度に嗜める人もいれば、やめられなくなる人もいる。

ギャンブルに手を出したとしても、

それを楽しみの範囲でやれる人もいれば、自らを破滅に導く人もいる。

 

性に関することにいたっては、

古今東西、どれだけの人々が、その依存と人生を共にしたのだろうか。

人類が、過去の経験、特に失敗から様々な学びを得てやってきたおかげで、

現実に起こる性的な残虐性は確かに減少しているようには思う。

 

しかし、性欲のコントロールについては、どれほどの変化があったのだろうか。

どうも、性的自制心においては、むしろ後退しているような気がしてならない。

 

インターネットが可能にした「自由」と「無料」は、考えうる以上に恐ろしい。

インターネットにアクセスできる者は、エロコンテンツへのアクセスにおいて、何の障壁も無くそこにたどり着くことができる。もし、障壁を設けようとするならば、それは自制心以外に何一つ無いと言ってもいいのだ。

仮に、酒、タバコ、ギャンブルが、無料でかつ自由であったら、どのような事態になるか、想像に難くない。

しかし、人類最古のエロコンテンツという合法ドラックに関しては、それが現代で実現してしまっていると言っても過言ではない。

 

適度に嗜める人にとっては最高の環境だ。

しかし、そうではない人々、性的な依存心が強い場合は、最悪の環境になりうる。

 

ただ、もしも、この環境下で、性欲を自制できる本質的な心が鍛え上げられるのではないかと、鍛錬や成長の観点で自らを見つめ直すなら、発想は反転する。

自らの性欲と向き合うならば、それには最適な時代とも言えるのだ。

だから、どうか依存心に飲み込まれてしまうことなく、この時代の利点を最大限に活かしてみたい。

 

「玉磨かざれば、光なし」

 

 

 

 

 

 

 
 
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