同じように酒を嗜んでいても、
酒に溺れる人もいれば、溺れない人もいる。
同じようにタバコを吸っていても、
それを適度に嗜める人もいれば、やめられなくなる人もいる。
ギャンブルに手を出したとしても、
それを楽しみの範囲でやれる人もいれば、自らを破滅に導く人もいる。
性に関することにいたっては、
古今東西、どれだけの人々が、その依存と人生を共にしたのだろうか。
人類が、過去の経験、特に失敗から様々な学びを得てやってきたおかげで、
現実に起こる性的な残虐性は確かに減少しているようには思う。
しかし、性欲のコントロールについては、どれほどの変化があったのだろうか。
どうも、性的自制心においては、むしろ後退しているような気がしてならない。
インターネットが可能にした「自由」と「無料」は、考えうる以上に恐ろしい。
インターネットにアクセスできる者は、エロコンテンツへのアクセスにおいて、何の障壁も無くそこにたどり着くことができる。もし、障壁を設けようとするならば、それは自制心以外に何一つ無いと言ってもいいのだ。
仮に、酒、タバコ、ギャンブルが、無料でかつ自由であったら、どのような事態になるか、想像に難くない。
しかし、人類最古のエロコンテンツという合法ドラックに関しては、それが現代で実現してしまっていると言っても過言ではない。
適度に嗜める人にとっては最高の環境だ。
しかし、そうではない人々、性的な依存心が強い場合は、最悪の環境になりうる。
ただ、もしも、この環境下で、性欲を自制できる本質的な心が鍛え上げられるのではないかと、鍛錬や成長の観点で自らを見つめ直すなら、発想は反転する。
自らの性欲と向き合うならば、それには最適な時代とも言えるのだ。
だから、どうか依存心に飲み込まれてしまうことなく、この時代の利点を最大限に活かしてみたい。
「玉磨かざれば、光なし」