難易度の高いことに挑戦し続けていく。
答えの無い工夫を繰り返していく。
道程が困難を極めるほど、その過程で得られるものは大きい。
気がつけば、様々にできることは増えているが、しかし、問題となる壁については、まったく壊すことができていないような気がする。
知らず知らず、問題の壁を忘れていき、ただただ、道を歩くことに集中し始める。
今までは、なんとなく気にしていた回り道を、あえて選んでみる。
遠回りしているはずなのに、逆に焦りが薄れ、自由さを取り戻す。
壁の近くで騒いでいた人々の声は聞こえなくなった。
文字の中に答えを探すことが自然と減り、読書とは対話になった。
経験の中で、様々な感情に飲み込まれながら、時を過ごしていく。
すると、理想という幻影がなんとも、別の世界の話に聞こえて、今生きているこの世界の清濁や愛憎に自分があるのだと、視点を取り戻して、浮つきが消えていく。
心の無駄な興奮を地面の上にのせて眺めてみて、「ああ、はじめから壁などなかったのだ。」と、何度もそんな思い込みを繰り返す自分の愚かさと、また仲良くなる。
ふと、ただ手元に残っている、「自分ができること」で何か面白いことができはしないかと、久しぶりに創造力の出番がやってくる。
たまに、そんな行為で、誰かの役に立つ。
社会との接点ができる。
増えていく。
心は、様々に影響を受け、またどこもかしこも人の壁。
いやいや、何か違う。
そうしてまた、1人になる時間をつくる。
自分を囲っていた柵を、1本ずつ地面から抜いていく。
その木を集めて、イカダをつくる。橋をつくる。家を建てる。
何度でも思考を振り替えていく。
楽しみは、守るところではなく、何かを生み出していくところに。