なぜ、自慰の依存性が、非常に高いのか、細分化しながら考えてみたいと思う。
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手軽さ
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快楽量
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コストパフォーマンス
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自由度の高さ
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精神安定
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新しさ
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タブー
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唯一性
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反動の分割
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まとめ
<手軽さ>
何よりもまず、手軽である。趣味は人それぞれあるに違いないが、自慰ほど手軽に気分を変えることのできるものは見つかりにくい。対抗策として、何かあるだろうか。ストレッチ。散歩。ランニング。筋トレ。身体ひとつあればできることだ。手軽さという意味では、確かに代替可能な手段に思う。
<快楽量>
行為に及び始めてから、右肩上がりに快楽度は上昇していき、最後はピークエンドとなる。ピークエンドの法則が正しいと仮定するならば、自慰行為は常に、最高の期待感をもって記憶に刻み付けられていくことになる。回数を重ねれば重ねるほど、学習によって記憶は強化され、これが依存の大きな要因になるのだ。
<コストパフォーマンス>
手軽で、かつ相対的に快楽量は高いと記憶されているとするならば、あらゆる行為の中から自慰行為を選択するという結果は、そのコストパフォーマンスの高さを想像するに、非常に理にかなった選択だ。ストレッチや筋トレは、確かに気持ちがよくなりはするものの、ある種の苦しみを伴う。そこが違うのだ。ランニングや散歩は、楽に行うならば、たいした快楽量を得ることはできない。これらもまた、この点で違う。
<自由度>
自慰が、非常に自由であることに疑いはあるまい。趣味趣向、性癖、場所、時間、姿、何をどうしたところで、誰にもとがめられはしない。自慰に、これといった型は存在せず、仮にあったとしても、これほど誰の影響も受けずに、自分自身の感覚と経験を頼りにして発達させていく行為というのは少ないだろう。基本的に、自慰には教科書や先生は存在しない。自慰をするとき、自分は王者である。
<精神安定>
行為の序盤に置いては、理性は確かにあるかもしれないが、行為の後半に近づくにつれて、理性は薄れ、本能が自分を支配していく。思考は止まり、欲望の赴くままに時を過ごす。だから、小さな悩みや、現実の厳しさなどは、自慰をしている最中、頭から消えるため、一時的な現実逃避を可能にする。結果として、快楽はストレスを和らげる。適度な疲れは、睡眠を促す。だから、思い込みでもなんでもなく、ストレスの強いひとほど、精神は一時的に安定するに違いない。
<新しさ>
これほど更新に更新を重ねられ続けられていく文化は他に見当たるだろうか。紙媒体からビデオ、そして3D、さらにはヴァーチャル。道具も、異常なほど多種多様なものが揃っている。
<タブー>
カリギュラ効果。禁止されるほど、人はそれをやりたくなる傾向があるようだ。ただでさえ、これほどに興味と興奮を刺激する要素が満載の行為であるのに、そこに心理的な要因まで上乗せされたとすれば、もはや誰もとめられなくとも不思議ではない。
<反動の分割>
行為後の反動が、その瞬間、一気に訪れるということはまれだ。まるで、借金の分割返済のように数日をかけてエネルギーは再充電されていく。高額な商品が分割によって、購入可能に感じてしまうように、自慰も、失うエネルギーは相当のものだと知っているにせよ、その反動がある程度分割して訪れることも知っているため、失う恐怖心が緩和されやすいのかもしれない。
<唯一性>
つまるところ、これほどの特徴と利点を持った行為は、他を探したところでなかなか見つかりなどしないのだ。他の命を奪い食事をすることを、必要悪として受け入れているように、自慰も、相当な命の源を失うことと引き換えにしても、その唯一性があまりにも強すぎるために、結果としてその行為を選択することになるのかもしれない。
<まとめ>
さて、これだけ依存度の高い行為を知ってしまったのだ。しかし、それを今、後悔することに意味は無い。この要素ひとつひとつと向き合いながら、なお、それに勝るような対応策を考えることが重要だ。具体的な案をあげていくことは別の機会にまわすとして、ひとつだけ、おそらく対策のキーとなることについて書いておきたい。
自慰の快楽は、コストパフォーマンスが高いだけで、言うほど快楽度が高い訳ではない。そこに付け入る隙がある。おそらくキーワードとなるのは「達成感」だ。あらゆる快楽と比べて、この快楽は、圧倒的なものだ。
目標ももたず、地図ももたずに、悠々と人生を過ごしていけるとすれば、それは唯一無二の充実した生き方になるだろう。しかし、自慰を知り、依存してしまっている者たちは、その前に、強烈な達成感によって自分を、依存の惰弱な快楽を無視できるほどの記憶と身体に作り替えなければならないのかもしれない。もちろん、他にも方法はあるだろう。これはひとつの例だ。
性との問題は、生命がある限り必ず避けては通れない問題だ。大きな発見や、大きな成果がいつの日か出てくるにせよ、それらは、小さな発見や、小さな成果の積み重ねにすぎないのだ。先人が残してくれた記録も参照しつつ、自分にそれをぶち当てて、試行錯誤を繰り返す。いつか、性との調和がとれることを願って。
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